[Review]: いつまでもデブと思うなよ

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

これでやせられなかったらあきらめるしかないと納得(笑)

そう、私は一年で五〇キロの減量に成功した。体重が一一七キロから六七キロへ。一年前には、自分でも想像していなかった変化だ。
周りの誰もが「どんなハードなダイエットをしたんですか?」「どんな奥の手を使ったんですか?」と私にきいてくる。みんなが知らないようなことは、なに一つしていない。

『いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)』 岡田 斗司 P.7

まずご本人のブログによる「スタイル&顔の遍歴」をご覧いただきたい。百聞は一見にしかず。某巨大掲示板では癌だろ?と疑われるほど変容しちゃってる。驚愕。

一年かけて五〇キロ減量したときどんな変化がおとずれるのか。筆者によると、週一キロずつ減り始めたときから落ち着くまでの期間は劇的だったらしい。

  • 毎週、ベルトの穴が一つずつ縮む。
  • 毎月、ズボンやシャツや下着を買いなおす。
  • どんどん体が軽くなっていく。
  • 走っても息が切れなくなる。
  • 階段が駆け上がれるようになる。
  • 48歳中年男性、まるでスーパーマンになったような気分。
  • 若返るとはこういうことか!と感動する毎日。

こんな激変とは裏腹に、一読すれば、「ダイエットは一種の宝くじだなぁ」と感じさせられる。ここでいうダイエットは、本書が推奨するレコーディング・ダイエット以外の減量方法をさす。

実は、どんなダイエットをしても、最初はみるみるやせる。少なくとも本になって売られているようなダイエット法なら、どんなものでも効果がある。
書かれてあるとおり実行すれば、絶対にやせられる。問題は、その努力が一〜三ヶ月しか続かないことだ。そこで停滞期が訪れ、みんな頓挫する。

『いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)』 岡田 斗司 P.14

ワシントン・ポストの調査によると、アメリカでは過去70年間で26,000種ものダイエット法が開発された。その一方、それらのダイエット法で成功した人は、200人のうち10人。なんと成功率は5%。

さらに残酷な調査結果が目にとまる。この「成功」とは「目標体重に達した人」を意味する。そして、「目標体重に達した後に体重を維持できた人」になると、200人のうちわずかに1人。たったの0.5%。おそるべし、ダイエットビジネス。ここから学んだ筆者の格言が的を射ている。

続けること。これが、ダイエットにとって最大の課題なのだ。

『いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)』 岡田 斗司 P.15

では、どうやったら続けられるのか。それが、本書の最大の目玉。レコーディング・ダイエット。詳細はもちろん本書を購入してご覧ください(笑)

というわけで、具体的な方法は紹介できないけど、わたしが興味をもった点は他にある。それは、体重が減り始めておこる身体の変化。それは「頭だけが食べたがるもの」から「体が食べたがるもの」への移行。

「頭だけが食べたがるもの」を欲望の食欲、「体が食べたがるもの」を欲求の食欲と名付けた。

現代社会は、欲望の食欲を満たす宝庫。デパ地下へ足を運べば、ショーウィンドウには、色とりどりのケーキが並び、コンビニでは新製品が目白押し。スーパーでも季節限定だの、好奇心をくすぐるスナックが所狭しと棚にならぶ。単に味だけではなく、イメージや記憶まで動員してくる欲望の食欲。

一方、体が欲している食べ物はどうだろう。それは身体から発せられるサインをじぶんが読み取らなければならない。これは意外と難しい。というのも、ダイエットしたいと考えている人は、空腹感と満腹感をしばし体験していない。ほんの少しの空腹感(厳密にはお腹がすいていない状態)になるとすぐに何かを口にし、そして食事をしていて満腹感に襲われても、「デザートは別腹だから」とアイスをほうばる。そんな生活をしていると、身体が発するサインを感受する能力はどんどん低下する。ついにはなにも感じなくなり、頭だけで食べるようになる。

欲望型食欲と欲求型食欲、どちらか一方に偏るわけではない。やはりバランスが肝要であり、どうしても食べたくなる高カロリーなものであっても、少量におさえればいい。そうして、「続ける」ことがダイエットの最大の課題なのだから。

私自身、どちらかというと欲求型人間だと思う。身体の信号に気をつかほうで、正直、いくら食べたくても身体が拒否するときはむやみに食べない。あと、本書にもあるように、おおよその体重とか体重の増減が何となくわかる。

たとえば、飲み会や外食が続いたりして、あまり自分のコントロールにおけない食生活が数日続いたとする。すると、体重が1〜2kg増えているのがわかり、体も足取りも重い。体重計にのってみると、「やっぱり」と独りごちる。

それでも、本書に書いているレコーディング・ダイエットは大いに参考になったし、読了した翌日からさっそく取り組みはじめた。まずは「助走」から。

初日の体重60.8kg、体脂肪率19%。

これを一年後には体重、55kg、体脂肪率15%以下にしたい。わたしの場合、痩せたいという動機はない。むしろ、つねづね感じている、「欲望型体質」から「欲求型体質」への変貌、これを目的とした。理由は以下のとおり。見事に”解”を用意していくれている。

実は、自己コントロールというのは、体重管理だけに有効というわけではない。お金や仕事、人間関係や自分の将来など、広範囲に応用可能なのだ。

『いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)』 岡田 斗司 P.200

本ブログで何度もふれている、「コントロールできるものとできないものを峻別する能力」を磨きたい。その一心に他ならない。

追伸
とはいえ、痩せられたら万々歳。むかしカンクーンへ訪れたとき氷にやられた。そのとき、60kgの体重が数日でみるみるうちに53kgまで減った。衰弱の度合いは激しかったけど、そのときの「身軽さ」は今でも脳と身体が記憶している。なので、それをとりもどしてみたいような邪な気持ちも…..orz

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結果も過程も大切だけど払わない

小関峠

「それからこれは前にも申し上げたことですが、念のために繰り返します。ご要望のあったトピックについて、引き出せる情報はすべて入手しました。ですからもし牛河さんがその内容にご不満を持たれたとしても、こちらとしては責任はとれません。技術的にできる限りのことはやったからです。報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありません。求めていた情報がなかったから金を返せと言われても困ります。それもご承知願えますね」

『1Q84 BOOK 3』 村上 春樹 P.138

結果に対して報酬が支払われるようになり結果に対して評価が下される。アンフェアがあるとしたら、結果を提示しないで結果を求める傾向が高まったことだろう。往々にしてそういう傾向の高い属性は結果を出したことがない。自ら創り出さない。結果を評価する仕方も知らない。だから結果の定義が異なるのだろう。

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いくつかの幻想とひとつきりの現実 どちらを選ぶかは自由

琵琶湖

「で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

『1Q84 BOOK 1』 村上 春樹 P.23

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食は会食性は隠性

趙さんの酢豚定食

……….(中略)、なあ、自分で考えてゆうでみい、そこになんでかこうしてあるそのなんやかの一致の私は何やてほれ今ゆうてみい、わたしは歯って決めたねん、わたしは歯って決めたんや、おうおうおうおう歯やからゆうて阿呆らしいとか思うなや、歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったらその個体のしくみがまるままわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや、そうやそやからわたしは決めたんや、命と本質と最もがわたしの中で一列んなってそれがずばっと歯やったんや、(中略)……….

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』 川上 未映子 P.82-83

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受信者への敬意を忘れている

蓮

私が言葉を差し出す相手がいる。それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信認だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信認からしか言論の自由な往還は始まらない。

『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 鷲田 清一, 内田 樹 P.87

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“刻”離れ

長柄3丁目の食堂

もう何年も前から、幼稚園では「シンデレラ」の話をするのが難しいという。悪い母親がいて、二人の娘がいた。雪が降るある日、その母親は自分が産んだのではないほうの娘に向かって、「外に行って、イチゴを採っておいで」と言う。現在、初老を迎えるくらいの年齢の人ならば、そこで涙を落とすかも知れない。しかし、現在の幼稚園には、そのようなことが理解できない園児がいると言う。

『考える人 2010年 08月号 [雑誌]』 新潮社 P.135

コンビニは? お金を持ってないの?

11月の終わりにイチゴが並んだらクリスマスのシーズンだと思う大人たち。物語のある場面をお金に交換する子どもたち。”伝え会う”物語の内容と”刻”がどんどん離れていく。

そもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている

足元を見てない

一定の場合について、目的を立てるためにいかなる苦労をしても、それが最終的なものではない。その目的を採用した結果に細心の注意を払わねばならず、目標は、その正しさが結果によって確かめられるまでは、単に作業仮説として考えねばならない。失敗は、もはや、単に悲しむべき不可避的な災難でもなければ、贖われ許さるべき道徳的な罪でもない。それは、知性の誤った使用法に関する教訓であり、将来の改善に関する指示である。それは、修正、開発、再調整の必要を示すものである。目的が成長し、判断の規準が改良される。

『哲学の改造』 ジョン・デューイ P.185

誰が 計画を観察して適当な知性を選び判断の規準を改良するのか。誰が柔軟なものへ、生きているもの、成長するものへ実践するのか。

計画はそもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている。

善く生きるために、現象の側を測ること

小関峠の田んぼ

生きることそれ自体が価値なのではない、善く生きることだけが価値である。つねづね私は言っているけれども、しかし、ああ、これぞ人間の逆説、善く生きるためには、人は、生きていなければならない。生きることそれ自体がよいことなのではないけれども、善く生きるためには、人は、いくらいやでも面倒でも、やはり生きていなければならないのである。そも生きていないことには、善く生きることこともできないのである。

『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』 池田 晶子 P.103

人間座って半畳、寝て一畳が宇宙。メメント・モリ