知識は頭を縛る

札幌市内の歯科医院では、NPO法人のアンケートに回答して診察料が無料になるらしい。3,000人ほど無料診察を受けた。さて、慌てたのは札幌医師会と国、自治体。

もう一つ。インプラント認定医試験で他人の「治療例」を借りて合格したらしい。つまり虚偽の申告。最初認めていた医師たちは、今になって開き直っているとの由。問題の認定医は、欧州最古のインプラント学会「DGZI」(ドイツ口腔インプラント学会)の認定医資格。合格した医師は5人。

話題を転じて、ネットのホットエントリーを二つ。興味深いです。冒頭の2件となぜだか頭の中でリンクしした。

秀逸なエントリーです。ほんと。会計事務所に勤めていた経験だけですが、業界の人は後者のまとめを書けないと思う。知識が頭を縛ってしまう。「あたりまえ」の気持ち(時に驕り)が、発想を奪い去る。周りが知りたい、学びたい、教えてほしい「知」を考えず、自分が教えたい「情報」を書く。「すでに得た状態」で書いた情報。その情報は、「なぜ?」から出発する視点を持たせない。

「知っていてあたりまえだろう」「わかっていてあたりまえ」が渦巻くペダンチック。

知らない、わからない人が、そもそも「知りたくなった(わかりたくなった)きっかけは何か?」を吟味しない。否、吟味のスタート地点を見つけられない。

それは、歯(咬合)はいのちの根幹だからです。
人は、口腔状態がよくなり噛み合わせが整うだけで、身体全体のバランスがとれ、筋肉や内蔵の機能が回復するようにできています。歯は単にものを噛むためだけの場所ではありません。人体という精巧な器官の中で、全身のバランスをとる一番大切な場所なのです。
その仕組みを、本書ではお伝えしていきたいと思います。

“歯はいのち!―気持ちよく噛めて身体が楽になる整体入門” 笠茂 享久 P.15

本の内容が、医学的に正しいかを僕は判断できない。専門家は反論するかも。だけど、素人が読みたい、知りたい、起点にしたいと身を乗り出す「知」は、こういうものだ、と僕は思う。

教科書のような理論だけ、あるいは精神論的な羅列だけ、じゃなく、論理と情緒のバランス。専門分野の論理と、専門分野から少し距離を置いた分野が挿入された「全体」の記述。
歯ならば、歯と身体。簿記・会計・財務ならば、3つと起業。あるいは、3つと家計。ファイナンスと生活。

自分も気をつけないと。知に縛られて足が居付いてる。

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結果も過程も大切だけど払わない

小関峠

「それからこれは前にも申し上げたことですが、念のために繰り返します。ご要望のあったトピックについて、引き出せる情報はすべて入手しました。ですからもし牛河さんがその内容にご不満を持たれたとしても、こちらとしては責任はとれません。技術的にできる限りのことはやったからです。報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありません。求めていた情報がなかったから金を返せと言われても困ります。それもご承知願えますね」

『1Q84 BOOK 3』 村上 春樹 P.138

結果に対して報酬が支払われるようになり結果に対して評価が下される。アンフェアがあるとしたら、結果を提示しないで結果を求める傾向が高まったことだろう。往々にしてそういう傾向の高い属性は結果を出したことがない。自ら創り出さない。結果を評価する仕方も知らない。だから結果の定義が異なるのだろう。

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いくつかの幻想とひとつきりの現実 どちらを選ぶかは自由

琵琶湖

「で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

『1Q84 BOOK 1』 村上 春樹 P.23

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食は会食性は隠性

趙さんの酢豚定食

……….(中略)、なあ、自分で考えてゆうでみい、そこになんでかこうしてあるそのなんやかの一致の私は何やてほれ今ゆうてみい、わたしは歯って決めたねん、わたしは歯って決めたんや、おうおうおうおう歯やからゆうて阿呆らしいとか思うなや、歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったらその個体のしくみがまるままわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや、そうやそやからわたしは決めたんや、命と本質と最もがわたしの中で一列んなってそれがずばっと歯やったんや、(中略)……….

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』 川上 未映子 P.82-83

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受信者への敬意を忘れている

蓮

私が言葉を差し出す相手がいる。それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信認だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信認からしか言論の自由な往還は始まらない。

『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 鷲田 清一, 内田 樹 P.87

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“刻”離れ

長柄3丁目の食堂

もう何年も前から、幼稚園では「シンデレラ」の話をするのが難しいという。悪い母親がいて、二人の娘がいた。雪が降るある日、その母親は自分が産んだのではないほうの娘に向かって、「外に行って、イチゴを採っておいで」と言う。現在、初老を迎えるくらいの年齢の人ならば、そこで涙を落とすかも知れない。しかし、現在の幼稚園には、そのようなことが理解できない園児がいると言う。

『考える人 2010年 08月号 [雑誌]』 新潮社 P.135

コンビニは? お金を持ってないの?

11月の終わりにイチゴが並んだらクリスマスのシーズンだと思う大人たち。物語のある場面をお金に交換する子どもたち。”伝え会う”物語の内容と”刻”がどんどん離れていく。

そもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている

足元を見てない

一定の場合について、目的を立てるためにいかなる苦労をしても、それが最終的なものではない。その目的を採用した結果に細心の注意を払わねばならず、目標は、その正しさが結果によって確かめられるまでは、単に作業仮説として考えねばならない。失敗は、もはや、単に悲しむべき不可避的な災難でもなければ、贖われ許さるべき道徳的な罪でもない。それは、知性の誤った使用法に関する教訓であり、将来の改善に関する指示である。それは、修正、開発、再調整の必要を示すものである。目的が成長し、判断の規準が改良される。

『哲学の改造』 ジョン・デューイ P.185

誰が 計画を観察して適当な知性を選び判断の規準を改良するのか。誰が柔軟なものへ、生きているもの、成長するものへ実践するのか。

計画はそもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている。

善く生きるために、現象の側を測ること

小関峠の田んぼ

生きることそれ自体が価値なのではない、善く生きることだけが価値である。つねづね私は言っているけれども、しかし、ああ、これぞ人間の逆説、善く生きるためには、人は、生きていなければならない。生きることそれ自体がよいことなのではないけれども、善く生きるためには、人は、いくらいやでも面倒でも、やはり生きていなければならないのである。そも生きていないことには、善く生きることこともできないのである。

『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』 池田 晶子 P.103

人間座って半畳、寝て一畳が宇宙。メメント・モリ