忘れないようにしたい

紅葉

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも
約束されていないのだということを

最後だとわかっていたなら P.18

このために生きているな

カフェデュモンドのベニエ

と感じる。しゃぁーわせ。1日2食を少しずつ始めながらもこれだけはゆずれまい。ええ、ベニエ以上に人間が甘いのです。はい。

こういう自堕落な生活をしていると、時の人から叱咤されるのでしょうけど、至極まっとうな論理ですよ。ただ、前提が違う。国民皆保険が前提の人、憲法第25条を当然とする人(言わずもがな当然ですが)は反論する。とはいえ、国民皆保険は持ちませんよという前提でないのに意見したとしたら、どういう回路でつながったのかわからない。ただそれだけの話。漫画に書いてあるのかしら。社会保障費とインセンティブの関係。

生死を社会コストに換算するからだ、という話は出るだろうし、議論すればよい。でも個人と国の視点の対立が含まれるし、感情が入りこむ。保険で”体をほぐしに行く”(老)人は後を絶たないし、臨終間際に費やされるコストを直視していない。

言い方なんてどうでもいいですよ。それよりも、どうして発言するのか、あるいは発言しなくちゃいけないのか、言わんとする内容が妥当であるのか、とか、報道に脊髄反射せずに、自分で推論して検証したい人がすればよい、と思います。「いずれそうなるかもしれない」という貧困な想像力と「むかしどうだったかな」という模造の記憶は闘います。それを俯瞰する絶望を纏えるか。昔は、新聞がその推論と検証作業をやってくれていたかもしれないけれど、今となっては、期待する方が酷。

4冊読んで1万円ぐらい。それで、「考える仕方」の糸口はつかめる。あっ、生きる上で身につけたい知識をコストに換算するなんて、って叱咤されるかも。

Nokiaが打ち切りを発表?

NM705i

NM705iをiSyncで同期へのアクセスが多いので、NM705iやNM706iのユーザーは増えているのかなぁと思っていたところに飛び込んできたニュース。へ、へっ? ノ、ノキア、何が、なんだか。

Nokia は、2008年11月27日、事業の焦点と優先順位を強化するために、日本における携帯電話端末の販売および販売活動を打ち切ると発表した。なお、ラグジュアリー携帯電話部門である Vertu(ヴァーチュ)は、引き続き日本での活動を強化していくとのこと。

また、グローバル R&D およびソーシング事業は引き続き日本での活動を続けるという。

via: Nokia、日本における携帯電話端末の販売打ち切りを発表 – japan.internet.com 携帯・ワイヤレス

ソフトバンクからN82とE71、ドコモからE71がそれぞれ販売されるわけで。来春、E71を購入しようかと考えているのですが、あの、え、ま、まさか、って、あれ、これらを最後にして、今後は製品投入を打ち切るなんて意味じゃぁありませんよね?

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聴こうとして聞こえる音

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深紅のとばりの絹の悲しげに定めなくさらさらと鳴る音が、
私をぞっとさせーーー私の心をこれまでに覚えたこともない異様な恐怖で覆うた。

『ポー詩集 (新潮文庫)』 P.14

選択する機会

岐路

道が一本あれば、行く手は自然にその一つに決まる。選択する機会が失われる。その不自由さに、人は安堵して、歩み続けるだろう。立ち尽くすよりも歩く方が楽だからだ。
そして、その歩かされている営みを「意志」だと思い込み、その楽しさ加減を、「幸せ」だと錯覚する。

『恋恋蓮歩の演習―A Sea of Deceits』 P.12

僕の手帳は真っ白だよ、と伝えたとき、あなたはきょとんとした。数年後、わかったと伝えてきた。真っ白な手帳は自由と孤独。自由と孤独は一対。手帳をめくると白色。その罪悪感はいつしか意志へと変わる。

ぎっしり詰まった予定を持ち歩く人が、ある日、真っ白になった。恐怖が襲いかかってきた。慌ただしく動き回る周りの視線。突き刺さる。劣等感。

劣等感を抱く私から解放させる私。意志。

孤独という自由を、人は恐れ、
その価値を評価しないよう、
真の意志の存在を忘れるよう、人は努力する。
自分たちを拘束する力を「正しい」と呼んで崇めるのだ。

『恋恋蓮歩の演習―A Sea of Deceits』 P.12

KAMAKURAへの想い

KAMAKURA

いずれ鎌倉で住むなと思い込みつつ、またぞろ聞いている。KAMAKURAがリリースされたのは1985年9月14日とのこと。13歳のとき。たぶん14,5歳のころにレンタルレコードでレンタルしたように覚えている。LPレコードを買うお金を持ってなかった。当日返却の代金とカセットテープの代金をお小遣いの中から捻出して、お店へ走った。

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[Review]: 子どものための哲学対話

子どものための哲学対話

ペネトレ: 人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友だちなんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものじゃないのか?

『子どものための哲学対話―人間は遊ぶために生きている!』 P.63

この本が大好きで、折に触れて手に取りパラパラとめくっている。「子どものための」とあるタイトルどおり、難しい単語は一切登場しない。「哲学」も最後に紹介されるだけ。紹介の仕方が素敵。

めくるたびに思う。子どもが知っている単語で考える楽しさ。簡単な内容を難しく言うなんて、大人になれば誰でもやっている。僕は、難しい単語を吐く人、特に、自分の位置にとどまって単語を吐く人を嫌っている。相手の位置によって単語を使い分けない。自分を固定させた人。そういう人が使う単語の半分は、本屋に行けば書棚に入っている。難しい内容を簡潔に伝えようとしているだろうか?

めくるたびに自分に問いかける。

「自分で発見する」には「何を」しなければならないか?

答えられない自分が嫌になる。だけど、僕は僕。ずっとつきあっていかなければならない。だからあきらめずに前へ進む。

簡潔に伝えることは、「わかりやすい」じゃない。何度もこの本を読んでいるけれど、今でもよくわからない。たぶん、正解はひとつじゃないだろうなって思うけど、それもよくわからない。

ところで、「気が置けない」って意味を知ってる?

ペネトレ: そうだよ。最近の若い人は、きみような意味でつかうらしいけどね。

『子どものための哲学対話―人間は遊ぶために生きている!』 P.44

意味を知っているけれど、どうしてそうなったかを僕は知らなかった。じゃ、どうして「どうしてって問いかけなかった?」の?

言葉の意味だけの問題じゃないよ。身近に起こっていることをそのまま捉える。そして、それから「次」は?