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毎日新聞を解約しませんか?

ネットを賑わしている毎日新聞社のHENTAI記事問題。どうしてこんな記事を書いていたいのか、はたして騒ぎの根っこは何か、ネットの本当と嘘をこれからじっくり考えるとして、とりあえず脊髄反射しておきます。毎日新聞を購読していらっしゃる方は解約を一考されてはいかがでしょう。

毎日新聞社は27日、英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載された問題で、コラムを担当していた英文毎日編集部記者を懲戒休職3カ月にした。また、監督責任を問い高橋弘司英文毎日編集部長を役職停止2カ月、当時のデジタルメディア局次長の磯野彰彦デジタルメディア局長を役職停止1カ月の懲戒処分とした。このほか、当時のデジタルメディア局長の長谷川篤取締役デジタルメディア担当が役員報酬の20%(1カ月)、当時の常務デジタルメディア担当の朝比奈豊社長が役員報酬10%(1カ月)を返上する処分とした。

本社は、担当記者が国内の雑誌に掲載された風俗記事を英文サイトに引用する際、不適切な描写のまま英文に翻訳した結果、多くの読者に不快感を与え、インターネット上で批判を受けるなど信頼を損なったと判断した。上司については、記事のチェックを怠るなどの監督責任を問うた。WaiWaiは今月21日に閉鎖している。

via: 毎日新聞社:「WaiWai」問題で処分 – 毎日jp(毎日新聞)

さらっと書いてありますが、理解不能の釈明文。理由は以下に。

25日、毎日新聞社の株主総会が開かれ、役員人事が無事に可決された。デジタルメディア担当だった朝比奈豊氏は社長に就任し、デジタルメディア局長だった長谷川篤氏は取締役となった。毎日新聞のお詫びって一体何なのだろう?

私の目が雲っていなければ、毎日新聞はお詫びと告知をしたはずだ。「監督責任者であるデジタルメディア局長、同コーナーの担当部長、担当編集者を厳重に処分します。」と書いてある。厳重な処分とは昇格のことを言うのだろうか。

via: 毎日新聞、HENTAI記事の責任者が揃って昇格。処分は一体どこに? | デジタルマガジン

当時の責任者が社長になるという「処分」。毎日新聞がWaiWaiに掲載して世界に配信していた英文記事(HENTAI記事)の内容はYouTubeにも。怒りとかそんな問題じゃない。人間の尊厳を踏みにじる記事のオンパレード。売国奴やら売日とか非難囂々ですけど、日本を売ったという以前の問題。下の動画に関連した動画をたどれば見るに堪えない記事の内容が続く。

果ては売春指南まで(参照: 痛いニュース(ノ∀`):毎日新聞、「小額で日本の少女を買春する方法」を紹介。海外大手サイトに掲載)。

参照記事

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大阪は左、滋賀は右

旅なら気にならないし、東京の人(のフリをしている人)から嘲笑されたらされたで土産のひとつもできたと喜ばしい。だけど、住むとなると話は別。

それにしても、関西弁が柄が悪い、というイメージはどこから来たのだろうか。おそらく、テレビのせいだろう。吉本の芸人はかなり無茶な突っ込みをするし、強引に笑いを取る。だが、吉本の芸人が使っている言葉をそのまましゃべっている関西人はほとんどいない。あれはいわば「吉本弁」なのだ。「吉本弁」は大阪南部の言葉がベースにはなっているが、それと全く同じではない。だいたい、ああいう下町言葉を「下品」だと言うのであれば、我々も「てやんでえ」だの「あったりめえよ」という言葉にはかなり違和感がある、と言わざるを得ないのだが。

[...]だいたい、「関西」と「大阪」の区別がついていないことも勘弁してほしいものだ。我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。京都・大阪・神戸・奈良という関西の四大文化圏は、関東における東京・横浜・千葉・埼玉よりもよほど個性が強く、言葉一つとっても一緒くたにできる要素など全くない。それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。

via: 「関西弁は柄が悪い、下品だ」「大阪は民度が低い」

「吉本弁」とは言い得て妙。さんまさんや紳助さんが全国ネットで関西弁を話すようになって吉本芸人は免罪符を手にした。以来、関西弁をキャラ立ちさせてきた。だけど、テレビの関西弁は衒いがある。関西弁+中途半端な標準語的トーク。私の里は瓢箪山。大人たちは河内弁を使っていた。特に瓢箪山から出ない大人たちは顕著。祭りの会合なんかで飛び交う言葉は下品。なぜ下品と思えるかというと、高校の入学式でショックを受けたから。瓢箪山から近鉄奈良線に乗車して30分ほどで上本町がある。そこで下車して高校に通っていた。大阪の外れから市内へ。大人であればわずかな距離。16歳には異国の地。同じ大阪なのに発音や単語の言い回しがわずかに異なっていた。わずかな差異がかなりショック。同じ大阪人なのに違う言葉、って感じかな。で、上本町や市内に住む人たちの大阪弁はキレイだった。キレイといっても、米朝さんが話すような上方落語の美しさじゃないけど。

瓢箪山と上本町の差異に驚いた青年は大人になって滋賀県に住み、今は大阪・神戸・京都を仕事で往来している。奈良は知らない。大阪・神戸・京都、それぞれが違う。エスカレーターですら違う。大阪は左側が空く、京都は微妙、滋賀は右側が空く。いわんや言葉をや。滋賀の言葉に大阪弁のようなイントネーションはない。歌手の「ゆず」を「ゆず」と発音すれば、「ああ、すぐ大阪の人やね」とわかる(文章にしたらわかるわけねぇや)。滋賀は前者の「ゆず」、大阪は後者の「ゆず」。京都は別世界。京都の商売人と話せば、京都をチラッと垣間見られる。千年王城とはよくいったもんだと体感。大阪弁とは異なるイントネーションな言い回し。大阪弁より少しゆったりした感じ。滋賀でも地域によって違う。なつかしい響きで話す地域もある。その響きはだいたい県の中心からはずれている。かつ、世代的には年配の方がおおい。大阪、京都、滋賀、たぶん、「世代」という影響は大きいと思う。

で、ATOKも違う。神戸、大阪、京都、奈良は一発変換できるけど、滋賀県は滋賀と入力しても一発変換されず、必ず滋賀県と入力しないと一発変換されない。屈辱。

つらつらと書いてたけど、何が言いたいかというと、東京のみならず、日本が世界を眺めるとき、「フランス人はシャワーを浴びない(から不潔)」とか「欧米人は歯並びがいい」などの景色を堪能する。ハリウッドスマイルに刷り込まれ、ナポレオンの臭いフェチに感化されたり。反対もしかり。ラストサムライを観たとき、椅子から転げ落ちそうな衝撃を受けた人も少なくないはず。あれを持ってして、「もっとひどかった。我々が現場の人たちと話し合いながら改善した」なんて真田さんの口から聞くと、「改善させる前の映画のほうが映画らしくていいだろう」とツッコんだり。微妙に正確な描写はやっかいなイメージを与えかねないわけで。

旅をするとき、旅行ガイドを片手に散策すれば効率的に移動できる。それはそれで便利。否定しちゃいけない。だけど、旅行ガイドを手にしたことによって、「関西弁は柄が悪い、下品だ」「大阪は民度が低い」と握手するハメになることも自覚しておこう。旅行ガイドは私の想像力をかんたんに奪い去る。あざやかな手さばきで。見わたすかぎり私の知らない景色。そのとき、ガイドを手にしたくなる。京都へ何度も通う人がガイドなしに遊べるようになっても住人ではない。反対に京都も千年王城のあぐらをかいていれば、再び不遇の時代をむかえる(修学旅行の学生しか見かけない時期があったようにお見受けする)。

滋賀県が滋賀と入力しても一発変換されないことを羨んでもしょうがない。滋賀(クソッ、いいかげん腹立ってきたので単語登録してやる)は神戸・大阪・京都・奈良へ羨望の眼差しをおくってもしょうがないto

国粋主義と地域主義はコインの表と裏。いずれも先鋭化してしまえば滑稽な話。

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住処が人を育てる

鎌倉の旅の二日目、長谷寺へ。江ノ電に乗り長谷駅で降りたとき、「ああ、住みたいな」と思った。ひさしぶりだ、そんな気持ちになったのは。学生時代から東京以西は北陸を除いて足を運んだ。そのなかでも住みたいなと思ったのは伊良部島だった。そのとき以来。抑えきれないワクワク感。長谷寺から海を望む。

長谷寺から望む鎌倉

長谷寺の至る所に咲く紫陽花。当日はあいにくの雨。だけど軽やかな足どり。紫陽花と雨は仲好し小好し。

長谷寺の紫陽花

カメラを構えてゆっくり撮りたいけどダメだ。たしか9:30ごろだったけどすでに列。たぶん午後からは入場制限がかかる気配。看板には待ち時間80分なんて札もあったので混雑のときは紫陽花と人の頭でいっぱいになるのだろう。

長谷寺の紫陽花

紫陽花に露。

長谷寺の紫陽花

眼前に海、振り向けば古刹と山。ステキだ。趣のある家々がおりなす町並み。家か店かわからなかったり。長谷寺から望む海ではサーフィン。なんだか身体がウズウズした。ここに住んだら好きな音楽を聴きながらそぞろ歩きするのかなぁ。海も山も、町並みも、住人は日常で旅人には非日常。その差異が憧れを抱かせる。わかってる。住めば都という。私が住む琵琶湖もたいそう気に入っている。旅先の街ははじまりからおわりまで日常から切りはなしてくれる。だけど、既視感を抱かせる町並みもある。既視感と過去の区別がつかなくなったとき、「ああ、住みたいな」とつぶやいた。

自宅の前の紫陽花

自宅のすぐ前に咲く紫陽花。どこの紫陽花も美しい。

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[Review]: 墜落遺体

墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便(講談社プラスアルファ文庫)昨日、クライマーズ・ハイのレビューを書いた。横山秀夫氏が自身の記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故取材の体験をまとめた作品。ただ、「墜落現場」は描かれていない。事故そのものがテーマじゃないから『墜落遺体』も扱われていない。レビューで紹介した現場雑感、佐山は左手を失った女の子を抱える自衛官を書いた。実際の現場は凄惨を極めた。著者は事故当時、高崎署刑事官在職にて身元確認の班長につく。

完全遺体といっても、潰されて形を失った顔面。前頭部の飛んだ頭蓋。二つに切断された胴体。焼けただれて分解しつつある焼死体。手足がちぎれ、下顎骨がかろうじて首と繋がっている、といった遺体が多い。

そして脳髄は脱出して無い。眼球は飛びだすか、めりこんでいる。肋骨はバラバラに折れ、脊柱も潰れて体が円くなっている。

手足は多発骨折か切断か挫滅創。腰の安全ベルトのせいか、下腹部で切断されているか、大きく破れて内臓が噴出している。『墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便』P.62

完全遺体がそうならば離断遺体、分離遺体となると絶句する。遺体(部位も含む)のひとつひとつを丹念に調べ身元を確認していく作業、作業に従事する人々の懸命な働きを克明に記録している。

遺体の状況

  • 「何だこれは…..」毛布の中から取りだした塊を見て、検視官がつぶやく。塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてきた。
  • 二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損している。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあてがわれている。
  • 五二〇人という数字も大変だが、実際に回収される遺体は数千体にもなっている。
  • 「目が三つある死体があるのですぐ来てください」
  • 中には一週間もたっていないのに白骨化しているのもある。
  • 連日の猛暑のため、遺体に蛆が湧き、腐敗の進行も早いため、数日後からの回収遺体は原形をとどめていないものが多く、確認作業は困難を極めた。

遺体の身元確認作業

  • 「焦点が合わないんです」写真担当の若い巡査が、カメラを両手でもったまま泣きべそをかいている。
  • 検視官も医師も首にまいた汗止めのタオルや上腕部を使って、汗を一緒になった涙をしきりに拭っていた。
  • 「これは仕事なんだ」と割り切れない、と。
  • 多くの医師、警察官、看護婦たちが不眠不休で凄絶な現場で闘っている。「殉職者だけは絶対に出してはならない」
  • せっかく出勤してきたのに、臭気にまいって検屍作業もできずに嘔吐、その後数日か寝込んでしまった若い歯科医師
  • ものすごい死臭と、これが人間かと思われる炭化遺体を目の前にして、失神寸前となった医師。
  • 一度だけは検屍はしたものの、米が蛆に見えて食べられず、一週間ザルソバで通した医師。
  • 「班長! また子どもじゃあねえかよ。俺は子どものはもう嫌だよ。なぜ俺んとこばっかり子どもなんだよ」突然、まだ三十代前半であるが、検屍業務では熟練のT巡査部長が本気で怒りだした。

遺体と対面した遺族

  • 他の列でも日航職員が正座して、棺の中に顔を半分入れて謝っている。そこには下顎部から下の女性の挫滅遺体が納められている。
  • 母親が狂気のように叫び、抑えようもない激しい悲しみと怒りに床の上をのたうちまわっている。
  • 炭化して、人間としての原形すら残されていない父と対面し姉と妹が、失神して仮の救護室となった放送室に運ばれる。
  • どうにもならないほどの深い悲しみをじっと心の内奥に閉ざし、必死に耐えるのも人間の究極の姿である。
  • 「僕は泣きません」前頭部が飛び、両手の前腕部、両下肢がちぎれた黒焦げの父の遺体の側で、十四歳の長男が唇をかんでいる。
  • まるで地獄絵図のような、想像を絶したすさまじい情景は、宿命だとか運命だとかで表現し、簡単に他人の人生を総括できるものではなかった。

遺体をあつかった看護婦

  • 遺族からの遺体取り扱いについての苦情はほとんどなくなった。それは医師会派遣の看護婦と日本赤十字社が動員した看護婦たちの、やさしく甲斐甲斐しい働きによるところが多い。
  • とりわけ、胴の部分がピチッと締まったベージュの上衣に裾のすぼまったスラックス姿の日赤看護婦のきびきびした動作とその気丈さには、医師も警察官も驚嘆し感動さえ覚えた。
  • 遺体に付着した泥や木の枝や杉の葉などを取り除き、髪の毛、頭、顔、胴体そして腹部から脱出した内臓まで丹念に洗う。
  • 洗った髪に櫛を入れ、頭の表皮から指の一本一本に至るまで、ていねい清拭した。
  • 長い髪の毛に顔の片側部分の皮だけがついている離断遺体があった。看護婦は髪を洗い、櫛でとかし、顔の皮膚の裏側から手を添え、ガーゼを用いて和紙に付着した汚れでも落とすようにそっと拭く。強く拭くと表皮が破れてしまうからだ。ファンデーションで化粧をほどこし、三分の一ほど残っている口唇にも薄く口紅をさした。
  • 「これが人間なのか」「人間であったのか」想像を絶するすさまじい遺体を前に、看護婦たちは黙々として清拭、縫合、包帯巻き等の作業を、夜を徹してやり通した。
  • 「あのような現場では、その人が能力があるとか、経験があるとかではないですよね。あの極限状態では、誰だっておかしくなります。ご飯が食べられなかったでしょう、なんてよくいわれましたが、その程度の次元で話されたくはなかった。そんな心境、そんな場面ではなかったんですよ。」
  • 領収書の宛名から、誰の内臓であるかの手掛かりにするという。内臓だけが戻される遺族の思いが頭をよぎる。ビニールの中に内臓だけが入れて棺の中に納めるなんて考えられない。内臓をさらしでていねいに巻いてお棺に納めた。
  • 河野は他の看護婦に手伝ってもらい、子どもの胴体部、手、足の形を相当な時間をかけてつくった。頭だけを棺に入れるなんてとてもできないと…..。

前後の文脈も省略している。凄惨をきわめた身元確認の現場となった体育館、体育館に響き渡る遺族の慟哭と怒号、不眠不休の医師、縁の下の力持ちの看護婦。いずれも全体のほんのわずかなシーンを切り取ったにすぎない。それでも何か琴線にふれたなら手にとって読んでほしいと思う。

事故を風化させてはならない、二度と事故を起こしてはならないという言葉を加害者が口にしたとき、「絶対そうであってほしい」と願いつつもむなしさを感じる。 日本航空123便墜落事故から20年後にJR福知山線脱線事故が起きた。もちろんこの事故だけにかぎらず毎日のように事故は起きている。私はいずれの事故にも「テレビを視る側」でしかなかった。そんな側から少しでも離れるためにこれからも読み続けたいと思う。

いつ自分も事故に遭遇するかわからない。それだけがわかっていることだから。

私が一日も欠かさず、時には一日に何回も会う遺体があった。会ってことばをかけ、抱いてやらなければその日の作業が終わっても、家へ帰れない心境になっていた。「A列8番」の棺。その中には、幼い女児の頭部だけが寂しく眠っている。首からスパッと切断されているが、顔面頭部にはほとんど損傷もない。顔などはかすり傷ひとつないようにきれいだった。

まるでコケシ人形の童女のように、たまらなくあどけない。小さな唇と、愛くるしいほっぺには、ほほ笑みさえ感じられる。日赤の看護婦さんがやさしく洗い、櫛でとかしてやった黒く柔らかい髪の毛もそのままだ。

「三歳以下の女の子には間違いないよ」と東京歯科大学の橋本。

犠牲者の中に四歳以下の幼児だけでも一四人いた。このうち女児は八人である。私も橋本、木村、新谷ら先生方も、「M・Yちゃん(一歳)に間違いないのになあ」と早いうちから確認していた。それなのにいつもったひとりで棺の中に…..。

私はM・Yちゃんが、不憫でならなかった。帰宅する前には深夜でも明け方でも、必ずM・Yちゃんに「お休み」をいう。そのままM・Yちゃんの目線を私と同じ高さにして、二人の顔がくっつくぐらいの間隔で話す。

「M・Yちゃん、ごめんね。早くお家に帰りたいねえ、もうすぐ帰れるから待っててね、・・・・・おやすみなさい・・・・・」

時には冷たく凍ったM・Yちゃんの額を私の額いつけながら話すこともあった。このころ、「隊長も少しおかしくなったんじゃねえの」二階の観覧席から私の奇異とも映る毎夜の行動を見て、そんなことをいう班員もいたとか。『墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便』 P.252-253

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[Review]: クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ

《日航機123便は長野・群馬県境に墜落した模様!》ーーーーー北関東新聞の遊軍記者悠木和雅が友人の安西との約束を果たすため帰宅しようとしたそのとき、共同通信社の「ピーコ」が伝えた。日本航空123便墜落事故、それは「単独の航空機事故としては世界最大」を伝えるはじまりだった。死亡者数は乗員乗客524名のうち520名、生存者は4名。完全遺体492, 離断遺体1143, 分離遺体351, 移棺遺体79, 総合計2065体。完全遺体のうち五体がすべて揃っていたのは177体、離断遺体のうち、部位を特定できたのは680体、部位不明の骨肉片は893体。遺族の方々はいまだ癒されることなく、何かすがって懸命に生きている。『クライマーズ・ハイ』は地方記者の現場が描かれている。だから、事故の一報を受けたあと「どっちだ?」が当初の最大の問題だった。群馬なら「ウチの事故」、社の総力を挙げなければならない。若手は「めぐってきたチャンス」にはやる気持ちを悠木にぶつける。世界最大のヤマを誰よりも早く踏みたい。かたや年嵩の男たちは精彩を欠く。

悠木も同じ気持ちだからわかる。

群馬で事件と言えば、「大久保事件」と「連合赤軍事件」を指す。大事件という形容は当たらない。地元記者にとってそれは「後にも先にも二度と起こらない事件」だった。[...]二つの事件は昭和四十六年、四十七年と立て続けに起こった。だからその時期記者をやっていた人間たちは「二度と起こらない事件」を二つまとめて経験したことになる。

「大久保連赤」と詰めて呼ぶ。担当した記者の多くはその後の記者人生を一変させた。一言で言うなら天狗になった。十三年もの間、事件の遺産で飯を食ってきた。「大久保」の昔話で美味い酒を飲み、「連赤」の手柄話で後輩記者を黙らせ、何事かを成しえた人間であるかのように不遜に振る舞ってきた。 『クライマーズ・ハイ』 P.49

記者の能力があろうがなかろうが、偶然とった金メダルを首からぶらさげて社内を闊歩する年嵩の男たち。そのメダルの色が一瞬にして色褪せた。それを感じとったから男たちは複雑な胸の内を抱えていた。やがてこの複雑な胸の内が組織の相克を生み出し、「世界最大のヤマを報道する意味」が悠木の目の前に立ちはだかる。凄惨な現場を踏んで変わり果てた若手、現場を「商売」にしようとJALの主翼をバックに記念撮影する幹部、販売と記者の確執、上層部の派閥闘争、単独の航空機事故としては世界最大の現場からわずかに離れたところで男たちは別世界に棲んでいた。

佐山が書いた二度目の現場雑感。

【御巣鷹山にて = 佐山記者】

若い自衛官は仁王立ちしていた。

両手でしっかりと、小さな女の子を抱きかかえていた。赤い、トンボの髪飾り。青い、水玉のワンピース。小麦色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。

自衛官は天を仰いだ。

空はあんなに青いというのに。

雲はぽっかりと浮かんでいるというのに。

鳥は囀り、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。

自衛官は地獄に目を落とした。

そのどこかにあるはずの、女の子の左手を探してあげねばならなかったーーーーー。

『クライマーズ・ハイ』 P.103

本作品はこの夏映画で上映される。はやくもこの文章を映像化したシーンが紹介されていた。あの現場をなんとか再現しようとしたスタッフに感謝しながら佐山役の堺雅人は口にした。「(たとえ映画のセットが正確に再現されていようと)ココで520人が亡くなったのじゃない。それだけは忘れてないでおこう」と。そのとおりだと思う。

作者の横山秀夫氏は自身の記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故取材の体験をまとめて本作品を世に送り出した。ただ、事故そのものをテーマにしたのではないと思う。事故を素材に報道のありようを問いかける、もう少し踏み込むなら人の命を問いかけているように思う。

二十歳ーーー悠木の半分しか生きていない娘がメディアの本質を見抜いていた。

命の重さ。

どの命も等価だと口先で言いつつ、メディアが人を選別し、等級化し、命の重い軽いを決めつけ、その価値観を世の中に押しつけてきた。

偉い人の死。そうでない人の死。

可哀想な死に方。そうでない死に方。

[...]

《私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても》

『クライマーズ・ハイ』 P.411

二十歳の娘が書いた投書にある”従兄弟”はかつての悠木の部下。その死がいまだ悠木の背に重くのしかかっていた。この作品が日本航空123便墜落事故だけに焦点をあてず、何か冗長的な感覚を抱かせるのは、この娘を登場させるためじゃないかな。そして、この娘の言葉がすべてだと思う。

悠木が全権デスクを指名されたにもかからず、組織の相克に巻き込まれていくなかで、随所で「判断」が迫られる。だけど、その判断は決して論理で導き出されなかった。どちらかといえば叙情であり、情動が論理を押しのけ意志を決定してきた。そしてその決定は周囲をさらに沸き立たせる。だけど、最後に佐山から発せられる言葉も情動だ。その言葉に悠木は落涙する。

論理か情動かじゃなく、人が判断するとき、大きく占める要素は何か? 見誤ってはいけない。

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F先生と愉快な仲間たち

00:05に鶴橋を出発して01:11に大津へ到着。帰宅後、ひとっ風呂をあびる。で、ブログにむかう。なるほど、悪酔いしない方法を発見した。

  1. 好きな人たちと痛飲する(あたりまえか)
  2. 笑いっぱなしになる(これが案外むずかしい)
  3. 話を肴に酒を浴びて情熱をもてあます(自分で書いているけどよくわからない)

ミーティングを終え、飲みにゆく。メンバーは院長のF先生、勤務医のY先生、ヨッシー、まっちゃん、いまちゃんと私。男性二人と女性四人。私と院長先生は”とりあえずビール”。Y先生は日本酒を。 私は外で飲むとき、痛飲しても酩酊しない。自宅や里へ「帰る」となると、身体が無意識に言い聞かせ抑制しているらしい。だけど、年に数回、「帰る」ことを失念して酩酊する。今日はその日だったようだ。おまけにみんなが同じ酒を酌み交わした。こんな機会はたいへんめずらしい。きっかけはY先生が嗜んでいらっしゃった日本酒をF先生が飲み始めた。そのとき、F先生は「飲む人」と声をかけ、残りの四人が一斉に挙手した。いつもならそれぞれが好む酒を注文するはず。今日はみなが同じ酒を飲んだ。そうさせたのは何か? その何かを追い求めていくのが私の興味。

四人が一斉に挙手してから冷酒が続々と運ばれきた。お猪口6つを持って「どうぞどうぞ」と酌み交わす。お猪口だから酒がクイクイ口に運ばれる。好きな人たちと話を肴にウマイ酒を酌み交わす。酒がウマイのもさることながら、人がウマイのだ。だからどんな酒を飲もうが何を飲んでもウマイ。もはやウーロン茶でも酔うかも(んなわけねぇ)。酔わないほうがおかしい(もちろん酒で、ですよ)。だけど不思議。頭も身体も酔っぱらっているのに悪酔いしない。気分はますます高揚す。

F先生
酔うと”ピー”トークに花が咲き、爆弾発言多し。ヨッシー、まっちゃん、いまちゃんへの可愛がり方がすこぶるおもしろい。理論を愛する一方、理論への傾斜をひどく嫌う。そのアンビバレントなふるまいは他者を魅了す。
Y先生
自分が不安を抱いている以上に患者が不安を抱いていることに気づいたから目の前の風景が様変わりした。様変わりした風景をキャンバスに描こうとする姿が懸命でステキ。
ヨッシー
たぐいまれな対話力と院長先生へのスルー力を持つおそるべきDH。スポンジが水を吸い取るかのごとく感性を身にまとっていくふるまいが異彩を放つ。
まっちゃん
目は口ほどにものを言うを地でいく頼もしい存在。口ほどにものを言う表情(ふつうは悪い方に働くのに)が他者を惹きつけるのは天賦の才。
いまちゃん
話によって食いつき、話によって食いつかず、その食いつきポイントが他者を幻惑す。悠然と受け止めたかと思えば、華麗に右から左に受け流し、時にカップヌードルタイムぐらいテンポがずれる。おそるべき異能。

これらいずれも私の視点。すべてフィクション。そんなわけない。だけど私の目にはそう映る。そうやって錯覚しつづけても身体と頭が拒否しないから傍らにいたくなる。

No complexity, No simplicity.

複雑なくして単純なし。私の名刺に刻んだ言葉。私がいまところたどり着いた気持ちを言葉にした。単純は美しい。だけど表に映る単純は裏に想像を絶する複雑を抱えている。同じ酒を飲む6人が抱える複雑な背景。わかりようもない。わかりようもないからこそ言葉にすべくもがく。そのもがく姿を肴に酒を飲む。五臓六腑にしみわたる酒と声。今宵はぐっすり眠れる。

私はほんとうに幸せだ。

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[Review]: 日本という方法

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化コメンテーターが「元来、日本という国は」なんて口にしたら「チープでシンプルなナラティヴ」の鋳型かもしれないと眉に唾をぬってみる。天皇制が日本史を仕切っていた歴史はなく、武士道は徳川初期や明治前期の所産とのこと。ならば、日本が単一民族国家である説にいかが答えようと問われれば、その説は『単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜』によって論破された(らしい)。なるほど日本の歴史の年表を眺めたとき、「○○時代」で区切られているだけで、縄文時代から現代まで一本道で描かれる。世界史に散見されるような国そのものが変わったり王朝の交代などない。驚くばかり。だからといって、一貫性を主張するのは早計だ。

そもそも日本の自信って何なのでしょうか。明治維新で得たもの? 徳川鎖国体制がしからしめたもの? 芭蕉のサビや近松の浄瑠璃? 武士道みたいなもの? 信長らしさ? 竜安寺の石庭? それともずっとさかのぼって藤原道長の王朝文化や聖徳太子あたりにあったもの? それなら、その自信はどういうものだったのか。説明してほしいものです。

私は、このような問答があるたびごとに、日本のよさやおもしろさというのは、必ずしも「自信」や「強さ」や「一貫性」にあるわけではないと話してきました。歴史のなかのどこかに強いナショナル・アイデンティティの軸の確率があったわけではなく、また数人の思想家や芸術家によって日本の代表するイデオロギーが確立されていたわけではないと私は思っているからです。『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』 P.9

いやいやそんなはずない。「一途」は確立されていないか。確かに一途ではある。同時にたいそう多様でもある。日本は「一途で多様な国」といえる。代表格は多神で多仏(ステレオタイプだけど)。天皇と将軍、関白と執権、仏教と神道、それに儒教と民俗信仰。それらがヨーロッパのように二項対立で語られない。二項同体。二極を消すように腐心した。「正」と「反」が止揚して「合」にいたる。失敗すれば二項は対立したまま残る。それはまずい。事象は根本に撞着があるからこそ次の発動をおこす原動力となる。根本撞着が新たなモノを産む

私たちの祖先は実におもしろい。枯山水から水を抜いた。キャンバスにすべてを描き尽くす油絵と異なる日本画を編集した。水を感じたいから、墨を感じたいから「余白」を産んだ。極度に短い詩歌のスタイルをとった和歌や俳句、省略が効き過ぎた禅庭や数寄屋造りなど「静かな日本」という面影を残しているかと思うと、他方、歌舞伎や日光東照宮の装飾、派手な山車の華麗で過剰な装いなど「賑やかな日本」という顔を持つ。前者は引き算をいかし、後者は足し算をいかした。どちらが本当の日本ではなく両方とも日本だ。一見、「黒と金」や「侘びと黄金」のように対比されて説明することもあるけど、静かな日本と賑やかな日本には共通の方法が潜んでいる。主題を述語的につなげた。主語的につなげていないところがおもしろい。主語が見えにくい日本。

宗教や文化だけじゃない。東国では貫高制の金の決済、西国では石高制の銀の決済が江戸後期まで続いた。東は水田優位社会、西は畑作優位社会。道具や言葉遣いも多様だ。神主さんと禰宜さん、湯と風呂、いろりとかまど、オトトイとオトツイ。

松岡先生はそういった日本の方法を「日本の方法」ではなく「日本という方法」と表現する。

表題を『日本という方法』としました。日本が「方法の国」であってほしいと思っているからです。「日本の方法」ではなく、あくまで「方法の日本」というところが眼目です。

そんなこと、同じだろうと思ってもらっては困るのです。たとえば「映画の都市」と「都市の映画」、「仮説の作業」と「作業の仮説」はちがいますし、「数学の方法」と「方法の数学」はあきらかにちがうのです。私は、古代アジア社会から日本が自立したときすでに、東アジア的方法から日本が生まれてきたと見ているのです。第2章にその経緯に一端を詳しく書いておきました。その方法の記憶こそ母なる日本だと見ているのです。[...]

方法は主題ではありませんが、主題を包摂する数々の可能性をもっています。たとえば茶碗のもちかた、測定のしくみ、板書の書きっぷり、交渉のやりかた、刺身の切り口、摺り足の運びには、茶や料理や能の、技術や教育や外交の本質があらわれることがあるのです。いや、以前も現在も、そのようなところにこそ、日本が日本自身を編集してきた特色が静かに発露しているのだと思われます。それが私が語ってみたかった「日本という方法」です。『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』 P.317

「日本という方法」を語るのに縄文時代まで遡り、そして昭和日本の「日本の失敗」まで駆け抜ける。まさに日本の歴史を「編集」した。編集された日本は「絶対矛盾的自己同一」の葛藤に向きあってきたと読み取った。矛盾を排除せず受け入れ、かといって矛盾のまま残さず同一しようと試みる。だから二項対立どころか多項対立も決めこまない。多項同体。矛盾を同一しようなんてできるわけがないと「わかっている」のに漸進していく。その過程で創造されるはたらきを矛盾と同一の相互作用として感じとる。その感性が「日本という方法」の国の母じゃないかな。

『Pirates of Silicon Valley』という映画に登場する言葉。Steven Paul Jobsが好んで使う言葉。

「Good Artists copy, Great Artists steal」(優れたアーティストは模倣するだけだが、偉大な芸術家は盗む)

パブロ・ピカソの名言。この言葉の意味が本書を読むと少しだけ理解できた。

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