カテゴリー: Review

本、映画、感想…etc

[Review]: 禅と日本文化

禅と日本文化 (岩波新書)

精神の重要さをあまりに注意・強調すれば、形式無視という結果をきたす。「一角」様式と筆触の経済化もまた、慣例的(コンベンショナル)な法則から孤絶するという効果を生ずるのである。普通なら一本の線、一つの塊(マス)、平衡翼(バランシング・ウイング)を予測するところにそれがない、しかもこの事実が予期せざる快感を中心に喚びおこすのである。それらはあきらかに短所や欠陥であるにもかかわらず、そうは感じられない。事実、この不完全そのものが完全の形になる。いうまでもなく、美とはかならずしも形の完全を指していうのではない。この不完全どころか醜というべき形のなかに、美を体現することが日本の美術家の得意の妙技(トリック)の一つである。

“禅と日本文化 (岩波新書)” (鈴木 大拙) P.16

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[Review]: 橋本治と内田樹

橋本治と内田樹

橋本 そういう意味で、「立ち居振る舞いが美しい」という褒め言葉がひとつありさえすれば、「どうすれば立ち居振る舞いが美しくなれるか」に関するノウハウがなくてもいいんですよね。美しい人がいる。自分は美しくない。恥ずかしい。その恥ずかしいを持続していて、何らかの形で一生かけてでも、その立ち居振る舞いの美しいに近づこうという風に、ぐずぐずぐずぐず努力するというのが人生で、それだけでも人生の目的はあるんですよね。マニュアルにしてしまうと、人生の目的を短縮してしまうから、暇でしょうがないだろうなと思うんですけれど。“橋本治と内田樹” (橋本 治, 内田 樹) P.236

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[Review]: 歯はいのち!

歯はいのち!―気持ちよく噛めて身体が楽になる整体入門 (文春文庫)

ここでお断りしておきたのは、現在にでは、本人に不具合の自覚症状があり、整体的アプローチを希望する方に限って、本書で述べたような総合的治療を行っています。当院は保険適用医ですが、この整体的診療の場合は、保険適用外となります。「整体をする歯医者」という特殊な立場で、長年治療してきた経験から、無用なトラブルを避け、理解のある患者さんへの治療に専念するため、そのようにしています。
インプラントや歯科矯正のトラブルを抱えた方には納得のいく金額でしょうが、興味本位でちょっと身体をいじってほしい、という方には高額に感じると思います。“歯はいのち!―気持ちよく噛めて身体が楽になる整体入門 (文春文庫)” (笠茂 享久) P.222

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[Review]: 人生の100のリスト

人生の100のリスト (講談社プラスアルファ文庫)

ぼくはこれから一体、どんな人生を歩んでいけばいいんだろう。
十九歳の時、このことについてかなり真剣に考えた。そしてその結果、100の項目からなる「人生のリスト」というものを作成した。自分の将来を決定づけるようなリストだった。これを作ったおかげで、今のぼくがこうしてここにいると言っても過言ではない。“人生の100のリスト (講談社プラスアルファ文庫)” (R., ハリス)P.12

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[Review]: 「哲学実技」のすすめ

「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・ (角川oneテーマ21 (C-1))

「哲学学者」と「哲学者」の違いは? いきなり尋ねられたらどう答えましょうか。そもそも「哲学」って何だろう。そこからはじめないと。なんて思いつつ頁をめくると、中島義道先生は「哲学学者」を批判していた。激烈を極めるって言いたいくらい。先生は、「これはぼくの哲学観であって、永井均さんや池田晶子さんや鷲田清一さんなどは、まったく違うことを考えているだろう」とおっしゃる。頷く。だけど、池田晶子さんには疑問。池田晶子さんに感動して二桁ほど読んだけど、先生と通底しているような。観は違えど姿勢は同じ、というか、出発点が似ているような印象を受けた。

先生が哲学者を養成するために開催した塾。6人が集った。それぞれ異なる属性。性別・年齢・職業・社会的立場など。みなさんそれぞれ胸の内に何かを抱え、哲学に何かを期待し、何かが変わるかもしれないと願いやってきた。だけど、そんな淡い欲望もあっという間に露と消える。束の間の希望。

自分の「からだ」から湧き出た言葉を尊重して「ほんとうのこと」を正確に語りつづけること。

“「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・” 中島 義道 P.10

こんな平易な文章が6人に襲いかかる。両手を伸ばした直径2mにも満たない世界を考えず、事柄を対象にしてきた人たち。どこか自分事でなかった世界。その世界が急に目の前にやってきた。先生の言葉によって。客観が主観に変わる瞬間。主観の懊悩の先に客観がある、と僕は感じた。直径2mの世界を考える苦悩。こんな苦しまなければならないのか。こんなに世間から「外れた」思考を続けなければならないのか。外れるために必要な勇気を持つ、否、勇気でない。外れる自体の難しさ。先生の言葉、6人それぞれが抱く観念、両者の差異。激突。

やがて一人去り、また一人去る。

「悪」「不幸」「エゴイズム」が目次に。だとすると、「それらを排除しましょう」「そんなことをしてはいけませんよ」なんて倫理が展開されるかなってよぎる(先生の著書を読んでいればありえませんが)。まったく正反対。誰もが持つ悪。山のようにある幸福論を蛇蝎のごとく嫌い不幸論を極める。健全なエゴイズムを育てる。対偶の思考。思考の「体力」。僕は先生へ反論する。だけど、その反論は、誰かの言葉を借用してまいか。常につきまとう自問。平行線の世界。いつか交わるという期待と断念。

4人が3人に、3人が2人に。

幸福を真実と同じレベルで考えてはならない。いますぐに説明するよ。真実をいつでも貫き通すことはたいへん難しいのだ。だが、だからといって簡単に「しかたない」と呟いていい問題ではない。このことをカントほど考え抜いた哲学者をぼくは知らない。

ぼくは、三〇年以上カントを読んできたが、やっと最近ここに潜む恐ろしく深い根が見えるようなったよ。カントは殺人鬼に追われた友人を匿い、追手から「どこにいるんだ?」と聞かれたときでさえ、嘘を言うべきでないと断言している。友人を場合によっては見殺しにしても、嘘をついてはならないと確信している。友情よりも真理が断固優先すべきであることを確信している。

「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・ 中島 義道 P.141

結末、「からだ」から発せられた言葉が先生を突き刺した。衝撃。少しの衒い。一切はこわれ、一切は新たにつぎ合わされる。だけど、一切はこわれることに直視できるかどうか。結末に違和感を覚えつつ、「よかった、”気づかなくて”」と安堵した。だけど、その安堵にちょっぴり寂しく思う自分。相容れない気持ちを抱えたまま書架に戻した。いつでも見える場所に置き直して。

[Review]: かけがえのなもの

かけがえのないもの (新潮文庫)

ハンス・セリエというオーストリア生まれの医者がいます。[…]この人はウィーン生まれで、お父さんはオーストリアの貴族でした。しかし第一次世界大戦が起こってオーストリア・ハンガリー帝国が分解してしまいます。今の小さなオーストリアになってしまった。セリエのお父さんは、先祖代々持っていた財産を失いました。亡くなるときに息子に言った言葉が、「財産というのは自分の身についたものだけだ」です。それはお金でもないし、先祖代々の土地でもない。戦争があればなくなってしまう。しかし、もし財産というものがあるとしたら、それはお墓に持っていけるものだ、と。

“かけがえのないもの (新潮文庫)” (養老 孟司) P.162

レンタルが流行っているらしい。バッグやドレスのレンタル。ブランド商品。車の共有やヒッチハイクのウェブサービスが登場した。背景は節約との由。皮肉だなと思った。物を買うお金を所有していないけれど、所有欲を満たしたい。それが端を発して、「ほんとうに持つ意味があるのか」を自問する。「持たない」意味に気づく。

あたりまえだけれど、お金や土地、家を墓へ持っていけない。にもかかわらず、あたりまえと受け止めていない。相続はある。そういうものだ。だけど、それすらも「制度」が当然かのように錯覚しているから存在する。

激動なんて言葉がふさわしくない社会変革を経験した人たちは、定常をどこかで疑っている。ある日、突然、制度が終了する。人生ゲームの始めに戻るなんて生やさしいぐらいに。昨日までの現在と今日の現在が断絶される。通用しない。あるのは予定のない現在。それが未来。修羅場をくぐった人の物腰。そういう人たちは豊かになっても、「食うこと」を忘れない。いかなる時代でも人間がすることは何かを考える。それを身につけた人は食えると。それが「自分の身についたもの」。かけがえのない財産。

かけがえのないという意味を個性と変換したらややこしい。脳内変換した人は、周囲の認識をスルーして自分のやりたいことを主張する。あるいは自分のやることが「正しい」と誤解している。

「何かをするより先にあるもの」ばかり気にして、「何かをひたすら繰り返す」ことを見ていない。他者にもまれ、周りがおのずと認めてくれたときに現れる幻想を追いかけない。その幻想が個性だ、と僕は思う。

ひたすら”しびと”ばかりを腑分けしてきた先生を周りは認知した。それを個性と勝手にラベルした。当人にとってはどうでもよい話だ。だけど、そのどうでもよい話を先に拘泥してしまう。何より優先して。

言葉で考えるから。言葉で切り分けたいから。言葉で知りたいから。知れば得たと氷解できるから。

最初の紙に従って行くと、トイレです。おしっこをとられる。次の紙を見ると今度は血液検査。三人くらい看護師さんがいて血液を採る。次はレントゲン。その次が胃カメラ。胃が悪いと余計なことを言ったので、薬を飲まされたり、注射をされたりしてゲエゲエ言いながらカメラを飲む。検査が全部終わったら午後になってしまいました。二人で顔を見合わせて、「丈夫でないと病院なんかこれないな」。
医者は何も言わない。「一週間たったら検査の結果が出るからまた来てください」でおしまいです。
一週間たって病院へ行くと、私の顔をちらっと見て誰だか確認したあと、ずっと検査結果表の紙を見ているわけです。愕然として「ああこの紙が俺の身体なんだ」と悟りました。

“かけがえのないもの (新潮文庫)” (養老 孟司) P.106

数値への信仰。情報への信心。公私の師と尊敬するM先生は口にする。「歯があなたの医院の扉をノックしましたか?」と。そして思う。「物語があなたの医院の扉をノックしましたか?」と。ノックした人は誰か。その誰を査定したい。欲求は言葉を生み出す。いつしか言葉の発掘が目的と化す。合目的的。

もっと見なければならない。見えていない。

予定表に記された将来の日付。そこに行動を埋めていく。埋まった将来は未来ではない。それはもう現在。先生が折にふれ使うこの比喩を読んで、「かけがえのないもの」を考える。

源氏物語にある「それだにいと不定なる世の定めなりや」の不定。そこに身を置く。底知れぬ不安。葛藤。孤独。不定を日常とす。やがて訪れる一瞬の定常。幻覚かもしれない。だけど、その一瞬が、「かけがえのないもの」なんだ、と僕は思う。

経営には論理と情緒と諧謔とエロスが必要

BONES ―骨は語る― DVDコレクターズBOX1

今さら感を漂わせつつBONESのSeason1を観ている。知的でおもしろい。制作費と比例するのかどうか知らないけど、日本のドラマと比較すると、テーマの角度が違うなと感じる。セリフのひとつにしてもウィットに富んでいる。

僕は常々口にするように、くだらないセミナーや講演を聴いたり眉唾の研修を受けるなら、映画やドラマを題材に食事でもしながら話し合うほうが、経営の役に立つ、と考えている。映画やドラマ、読書を”そのまま”楽しむなんてもったいない。関係ないと受け止めがちなテーマを自分たちの領域へいかに取り込めるかを鍛える。抽象的事象を具体的実践課題へ変換する。それには対話が必要だ。

BONES ―骨は語る―では、テンペランス・ブレナン博士とシーリー・ブース捜査官が、メインキャストとして登場する。二人のかけあいがすこぶるおもしろい。博士は論理、捜査官は情緒のメタファといったところ。周りのキャストはユーモアとエロスで二人を包んでいく。あとは、それぞれの陰。人間の性質は陽だけじゃない。

論理の博士は捜査官の情緒を不思議な目で見つめる。骨が語る事実だけを頼りに推論していく。ロジカル&クールに。それ以外の勘や推測を要素に算入しない。

だけど、日常は論理だけで営めない。研究所では通用しても一歩外へ出ると、そこは位相が異なる世界。事件の被害者は、博士が語る客観的事実を耳にして、ありのまま伝えようとする姿を目にして、時に感情を高ぶらせる。冷徹な事実は五感をシャットダウンしたくなる。そんな博士を捜査官は窘める。

かたや捜査官は現場で躍動している。にもかからず、研究所ではぐうの音も出ない。勘や根拠のない推測、倫理というピースは研究所には存在しない。一笑されるだけ。

論理と情緒、どちらか一方だけでは足りない。それを相互扶助している。

論理と情緒、それを俯瞰してみよう。論理と情緒”だけ”でも何かが足りない。日常が潤わない。そこに、ユーモアとエロスのスパイス。それも知的で巧味のある、頭のいい連中がウインクするようなユーモアやエロス。ジョーク。外連味のない言葉のファッションショー。

経営も同じだ、と僕は思う。論理と情緒と諧謔とエロス、そしてジョークを一人だけでは演じられない。それぞれの役割を果たす人を集める。それがチーム。

そんな視点で海外のドラマを視ると、僕は頭の中でいくつもの対話をしている自分に気づく。

だから、くだらないセミナーや講演を聴いたり眉唾の研修を受けるなら映画やドラマをみんなで観賞して、本を読んだりして対話するようほうが、「視点」と「発想」を生み出せる。ただし、身近なテーマより、まったく異なるテーマを取り上げるほうが難産なのも確かだ。一体、こんなことが何の役に立つのかと頭が憤り、躰は無関心を装う。その時間を耐えたとき、同業他社が追随できない現場の空間が現れる。

って、根拠のない推論を書いている。∴切望する。僕は論理を司る人格を欲しい。それが存在しないと痛感し自暴自棄におちいる。まぁ、こればかりは自分とうまく付き合う方法を模索するしかない。