接客やスタイルで(お客を)選択する

最初にテンプレートしておくと、好悪良悪の話ではなく、思いつきということで ;-)

米スタバ苦い顔「マックの味が上」を一読。昨日、名古屋で食べたみそカツがオーバーラップした。

米コーヒーチェーン大手のスターバックスの急成長に黄信号が点っている。効率性を追求するあまり、店の雰囲気やエスプレッソの風味に表れたスタバ独特の魅力が失われつつあるのではないか、という危機感をハワード・シュルツ会長が投げかけ、波紋を広げているのだ。株価も低迷する中、創業の地シアトルで21日開かれる株主総会で、シュルツ会長がどのようなメッセージを示すか、注目されている。

味覚は文化に影響を受けるかも、で、口を挟まない。行きつけのスターバックスも変わりつつあると感じた。どう変わったか?

有り体にいえば、「喧噪」が目に付くようになった。膳所のパルコという場所柄も関係しているやと。

  • コーヒーをオーダーせずに2階席に座っている人
  • コーヒーをオーダーせずに別の飲み物を飲んでいる人
  • フードをオーダーせずに違う店のフードを口にしている人
  • 大声で騒ぐ人

などなど。ここ1年ぐらいで急増、男性の店長らしき人は気づかないフリ。事を荒立てたくないし。

スタッフは接客を向上させようとつとめている。先日、「あっ、いつものカフェモカでいいですか?」と尋ねられた。「今日は、最初にお買い上げいただいたタンブラーですね」とか。

接客が店全体の部分集合だとしたら、それがバツグンでも他の集合要素に首をかしげてしまうと、全体の居心地はそこなわれる。残念 lol

昨日名古屋の矢場とんで味噌カツを喰った。2時すぎたころ本店に到着すると人だかり。40分ほど待ってようやく席に。食す。「文化」だよ。よくわからない。まぁ、こんなものなんだろうなぁとひとりごちた。

それよりも気になったのは接客。あまりに忙しすぎるせいか、ぞんざいな扱いをすぎてガチャガチャしていた。店の外で並んで中へ入ると、3、4階へとつづく階段でまた並ぶ。その階段は大人二人がすれ違えない。狭い。「ほら、はやく食ってくれ、客がこんなに並んでいるのだから」とアピールしたいのかと穿った :-[)

結局何が言いたいのか?

30代に突入して自覚するようになった癖がある。店全体が醸し出す雰囲気を私はえり好みしているらしい。味は全体を構成する要素のひとつ。好悪が激しいタチだから仕方ない。なので、店の選び方を間違えたと反省。

ならばその反対も。

店側が「来店してほしい客像」をもっている(はず)。その客像と現場に乖離が生じるとき、何か調和していない要素が混入していると疑ってはどうだろう。

リッツカールトンが一流に「超」がつくほどもてなすのは、「何もない」からではあるまい。そこには「何かあるから」であり、そのひとつに、「来てほしくない方々」を接客やスタイルによって暗に「選択させている」のかもしれない。

まぁ、持って回った言い方でお茶を濁しながら書いたのでこんなもんです。さすがに裏側の毒をはけまい :o:

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結果も過程も大切だけど払わない

小関峠

「それからこれは前にも申し上げたことですが、念のために繰り返します。ご要望のあったトピックについて、引き出せる情報はすべて入手しました。ですからもし牛河さんがその内容にご不満を持たれたとしても、こちらとしては責任はとれません。技術的にできる限りのことはやったからです。報酬は労働に対するものであり、結果に対するものではありません。求めていた情報がなかったから金を返せと言われても困ります。それもご承知願えますね」

『1Q84 BOOK 3』 村上 春樹 P.138

結果に対して報酬が支払われるようになり結果に対して評価が下される。アンフェアがあるとしたら、結果を提示しないで結果を求める傾向が高まったことだろう。往々にしてそういう傾向の高い属性は結果を出したことがない。自ら創り出さない。結果を評価する仕方も知らない。だから結果の定義が異なるのだろう。

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いくつかの幻想とひとつきりの現実 どちらを選ぶかは自由

琵琶湖

「で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

『1Q84 BOOK 1』 村上 春樹 P.23

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食は会食性は隠性

趙さんの酢豚定食

……….(中略)、なあ、自分で考えてゆうでみい、そこになんでかこうしてあるそのなんやかの一致の私は何やてほれ今ゆうてみい、わたしは歯って決めたねん、わたしは歯って決めたんや、おうおうおうおう歯やからゆうて阿呆らしいとか思うなや、歯はな、なめんな、一本ちゃんと調べまくったらその個体のしくみがまるままわかってしまうんや、全部ばれてしまうんや、歯はこれこの生命にとってな、最も最も最も最も本質的な器官なんや、そうやそやからわたしは決めたんや、命と本質と最もがわたしの中で一列んなってそれがずばっと歯やったんや、(中略)……….

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』 川上 未映子 P.82-83

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受信者への敬意を忘れている

蓮

私が言葉を差し出す相手がいる。それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信認だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信認からしか言論の自由な往還は始まらない。

『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 鷲田 清一, 内田 樹 P.87

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“刻”離れ

長柄3丁目の食堂

もう何年も前から、幼稚園では「シンデレラ」の話をするのが難しいという。悪い母親がいて、二人の娘がいた。雪が降るある日、その母親は自分が産んだのではないほうの娘に向かって、「外に行って、イチゴを採っておいで」と言う。現在、初老を迎えるくらいの年齢の人ならば、そこで涙を落とすかも知れない。しかし、現在の幼稚園には、そのようなことが理解できない園児がいると言う。

『考える人 2010年 08月号 [雑誌]』 新潮社 P.135

コンビニは? お金を持ってないの?

11月の終わりにイチゴが並んだらクリスマスのシーズンだと思う大人たち。物語のある場面をお金に交換する子どもたち。”伝え会う”物語の内容と”刻”がどんどん離れていく。

そもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている

足元を見てない

一定の場合について、目的を立てるためにいかなる苦労をしても、それが最終的なものではない。その目的を採用した結果に細心の注意を払わねばならず、目標は、その正しさが結果によって確かめられるまでは、単に作業仮説として考えねばならない。失敗は、もはや、単に悲しむべき不可避的な災難でもなければ、贖われ許さるべき道徳的な罪でもない。それは、知性の誤った使用法に関する教訓であり、将来の改善に関する指示である。それは、修正、開発、再調整の必要を示すものである。目的が成長し、判断の規準が改良される。

『哲学の改造』 ジョン・デューイ P.185

誰が 計画を観察して適当な知性を選び判断の規準を改良するのか。誰が柔軟なものへ、生きているもの、成長するものへ実践するのか。

計画はそもそもそうしようとすることが最初から失敗するようになっている。

善く生きるために、現象の側を測ること

小関峠の田んぼ

生きることそれ自体が価値なのではない、善く生きることだけが価値である。つねづね私は言っているけれども、しかし、ああ、これぞ人間の逆説、善く生きるためには、人は、生きていなければならない。生きることそれ自体がよいことなのではないけれども、善く生きるためには、人は、いくらいやでも面倒でも、やはり生きていなければならないのである。そも生きていないことには、善く生きることこともできないのである。

『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』 池田 晶子 P.103

人間座って半畳、寝て一畳が宇宙。メメント・モリ