何にもないところへ飛躍する

鷲田 距離を取りすぎているのがケア労働の考え方で、距離をゼロにしてしまうのがホスピタリティでやっているという考え方。僕は距離が大事だと思う。

『哲学個人授業-<殺し文句>から入る哲学入門』 鷲田清一, 永江朗 P.87

『知的創造のヒント』の冒頭、啐琢の機ということばが登場する。早すぎず遅すぎず、まさにこのときというタイミング。ひとは意識無意識問わず頭の中で何かを浮かべている。思考の卵。卵は何もしなければ雛にならない。温めなければならない。時間。

温める時間が難しい。いつまでも卵を卵のままにしておけばやがて腐る。腐った卵は行為に生命を与えず消えてしまう。自分で温めてきた卵、それがちょうどよい時、まさにそのタイミングで「つついて」やらなければならない。誰がつつくのだろう。何がつつくのだろう。

ひとは新しい考えを頭の中に産む。何でもよい。毎日といってもよい。五感は意識と無意識の間を往来する。新しい考えは、平凡や洗練、突拍子もないもの、いろいろ。そして、ぼくにかぎれば、日々産み落とされる思考の卵のうち、99%を自覚していない。思考と書くと、「思考」に失礼だな。

あなたは、「1を知ると、10分からなくなる」と言った。あなたは「時間」を獲得した。一つの卵を産んだとき、時間が現れた。その時間は、毎日過ごす時間と異なり、過去現在未来の時系列に並んでいない。3つがランダムに現れる。卵がいつ孵化するともわからない時をすごさなければならない。だけど、温めすぎれば、「10分からなくなった」まま。否、「10分からなくなった」ではなく、「知らないこと」が増えたのだ。焦燥と期待。抑圧できない感情が錯綜する。偶然がやってくるまで待たなければならない。

「10分からなくなった」と「10知らない」は、似ているようで全く異なる世界。

「1を知る」と「10分からなくなる」の間に、橋は架けられていない。断絶。だから、ひとによっては、「1を知る」ままで終わる。「1を知る」ままで終わる人は「知った」という満足感を蓄積する。「1を知る」が表とすれば、裏は「1を知らない」。両者はコインみたいなもの。だから、「1を知る」で留まる人は、「10知らなくなる」か「10知った」の中にいる。知ると知らないは同じ集合の中。その集合から抜け出す。それが、橋。自分で築かなければならない。

「10分からなくなる」不安。不安の先に広がる無限。どこまでわかればよいのか。どこまでわからなくてよいのか。「わからない」ことへの耐性。「10分からなくなる」とは、理由も理論も何もない場所。そこには言葉すら存在しない。

橋を架けるとは、理由も理論も言葉すらない、何もないところへ飛躍すること。飛躍できた人は、コインへ戻れない。あるひとは橋を架けず、「知る知らない」コインに定住する。異なった集合に棲む住人。

その住人たちと自分を比較する行為そのものが愚かだと気づく自分と出会いたい。ぼくは何もないところ飛躍したい。形あるものは外部から作用する力によって歪められる。

2 Comments

  1. ピンクの眼鏡

    私の古めかしい携帯は「そったくの機」を漢字で表すことが出来なかったので、自分で作ってしまいました。私の卵が突かれるのは、職場での3分間ス桃の時間と仕事中が多い気がします。
    卵、腐らせたくないです。出来れば、雛か温泉玉子ぐらいが出て来てもらいたいです。

  2. ピンクの眼鏡さん、コメントありがとうございます。

    温泉玉子、機知に富んでいて気に入りました。私は卵をもっと自覚しなければと自戒してます。

    なにせまったく考えていませんね。せめてもう少し考える自分になりたいものです…..orz

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