罪悪感があるからこそ向上心が生まれ鍛錬できる

琵琶湖

戦略の本質は、存在を賭けた「義」の実現に向けて、コンテクストに応じた知的パフォーマンスを演ずる、自律分散的な賢慮型リーダーシップの体系を創造することである。

『戦略の本質 (日経ビジネス人文庫)』 野中 郁次郎, 戸部 良一, 鎌田 伸一, 寺本 義也, 杉乃尾 宜生, 村井 友秀 P.459

タイトルは、CSI:マイアミのエピソード22でホレイショが消防署の署長へ言ったセリフ。「罪悪感」が、興味深かった。エピソードと関連したセリフなので、この一文だけ抜き出して読むと、響きにくいかもしれない。「罪悪感」。西洋というか、背景がキリストの構造から生まれるセリフだなぁと受け止めた。日本なら何があてはまるだろう。恥? 今なら敗北感とか入りそう。

脚本を書く人は環境から影響を受ける一方、環境へ配慮して書く。環境の前提を知らない人が、行為や言葉を見聞すると違和感を抱く。その違和感をぼくは大切にしたい。海外の映画やドラマ、小説、音楽のリリック、どれも違和感の要素を含んでいる。国対国の違和感は縮小すれば、ぼくの身の回りにある環境と同じ。位相は異なるかもしれないけど。

そうやってマクロからミクロへぎゅぅっと縮める実践力と、身の回りから躰の及ばぬ範囲へばぁっと伸ばす想像力。”ばぁ”は見聞しただけの異国や異文化。そう、現場を知らない事象への知的パフォーマンス。