朱に交われば赤くなる

琵琶湖

人々は自らの環境を創造するが、その環境もまた人々を創造する。

『センスメーキング・イン・オーガニゼーションズ』 カール・E. ワイク P.46

「すばらしいアイデアがひらめくとき、それは仕事の初日である。その次に、すばらしいアイデアがひらめくとき、それは会社を辞める日である」(『パラダイムの魔力―成功を約束する創造的未来の発見法』 ジョエル バーカー P.71)を目にして。おぉっと膝を打った。うまいなぁ。仕事の初日、バイアスがかかっていない見方で仕事を眺めた時、アイデアは生まれる。突拍子もないことであってもユニークなアイデア。

真っ白な人が鈍感と敏感を駆使して仕事を批評したとき、受け止める集団は、「ムリ」「ムダ」「経験を積んでない」「何を知ったふうな」「成果を出してから」など、次々と理由を孵化する。真っ白な人の言葉は、批評を超えて有言不実行や愚痴にときおり変わったりする。しょうがない。パフォーマンスが過ぎると杭は打たれる。

真っ白な人は染まった人を批判していた。染まった人(または集団)をわかりたい気持ちと場を変えたい気持ちが入り乱れる。複雑な感情。染まった人は自分が染まっていると認識していないから、真っ白な人が何を言ってるのかわからない。わからないというより、経験と技術が認識させようとしない。

真っ白な人は染まった人になりたくない。自分は染まらず場を変えたい。みんなとすごしたいと願う。バイアスのかかっていない見方で気持ちを伝える。伝え方やパフォーマンスの出来具合に問題を残しているとしても。

染まった人は染まりすぎてしまい、ついには集団の色と合わないほど染まってしまい真っ白な人と適度に染まった人たちから責め立てられ集団を去っていく。

そして、平穏が訪れた場。

やがて真っ白な人の中心に墨が一つたらされる。時間と空間はその波紋を広げ、墨で染めていく。

第三の眼は気づいた。真っ白な人はかつての染まった人と同じ色に染まっている。また真っ白な人がやってきた。どうなるだろう。第三の眼は、真っ白な人と染まった人たちとの間の溝を感知する。染まった人たちは認識しているのかどうか知らないけど、感情が露わで態度もよそよそしい。異なる振る舞い。排撃の姿勢。

染まった人たちは自分たちの言語を超越した存在に出くわしたとき、拒否反応を引き起こす。それがまっとうな生理的反応だし、生存戦略からしても有意義な行為。

第三の眼は、それらの行為を認めてゆるやかに適応するか。あるいは抵抗するか。それとも第三の道を提案するか。ただ静に去ってゆくのか。意味形成を認識しながら経過を観察する術を知っていれば悲劇を避けられるのに。第三の眼は自己の経過を認識できない。時と場。相互作用。