無知が予知 法則を推測

紫陽花

どうやら、ある発言が真実だと認識するということは、言葉として口にできる以上のことを認識することらしい。しかもその認識による発見が問題を解決したなら、その発見それ自身もまた範囲の定かならぬ予知を伴っていたことになるのだろう。さらに、その発見を真実として受け入れるということは、いまだ発見されざる、ちょっとしたらいまだ想像すらかなわぬ結果を、すべて信じようとすることらしい。

『暗黙知の次元』 マイケル ポランニー P.49

自分の喜びを伝えたいあまり上から目線になるらしい。気をつけよう。5年前なら激怒していたけど、憤怒の念が萌さなかった。そういったものかと。コントロールできる引き出しが増えた。自覚できた進歩だ。よかった。

言葉の取扱いは難しい。取説があればよいのだが、その取説を言葉で伝えることはもっと難しいのかもしれない。