Why should you?

琵琶湖

問題の解決法が, その現場以外にところで見つかることがある。誰でも, ある場所にいるときに, ほかの場所に応用できるアイデアを思いつくことがあるはずだ。たとえエベレストを登っていようがサウナに座っていようがである。事実, 関係のある場所から外にでるだけで, 新鮮な視点が生まれることはよくわる。類似点をある場所からほかの場所に応用することによって, その関係がわかったり, 情報の理解が深まることもある。庭づくりの教訓を金融分野に応用できる能力は,. 育てるべきだし, また育てることが可能な財産なのだ。

『理解の秘密―マジカル・インストラクション』 リチャード・ソウル ワーマン P.270

昔お世話になった会社の社長は、サラリーマンの時、コンサルタントだった。その社長からものの見方を教わった。いちばん印象に残っている「見方」を今も活用している。その時代の出来事。社長とぼくはある企業へ訪問した。悪い癖が出た。ぼくは職場を一瞥してしまう癖がある。そして、机の上の本に目を捨てた。

正確なタイトルを覚えていない。「○○分」と「売上」がついたタイトルだった。今でも書店へ行けば、「時間+解決策」を組み合わせたキャッチなタイトルはたくさん並んでいる。

どこかのサイトで読んだうろ覚えで書くと、昨今、コンサルタント本の出版が盛況らしい。コンサルタントがノウハウをチラリズムで書いた本。盛況の理由を知らない。分析した人によると、不況でコンサル契約できないゆえ、書籍から学ぶ経営者が増加した、あるいは、コンサルタントの時間が余ってきたので、手っ取り早く本を書くようになったとか。

本から仕入れた情報を加工して話したり、実践している自分を観察すると、どこかヘンだ。サイズの合わない洋服を着ているみたい。守・破・離に従えば、守なんだろう。我慢の時。真似、という行為は高度なふるまいだから真似を否定しない。

ところが、守・破・離を分解すると、守(真似)を破れない人と破・離へと進化する人に別れる。ぼくは前者だ。後者の人に出会うと、いつも感嘆する。

自分は前者だ、認識しているので真似から脱皮できない人の言動を把握できる。とかくうさんくさい。しゃべることに長けている。書籍の内容を要約してアレンジしてしゃべっているからあたりまえだ。ところが、当人を上回る理解度を持つ人から質問された途端、しどろもどろになる。

なぜなら、真似の原本、「○○分+売上」の原意を理解できていないからだ。仮に理解できてもフィードバックさせて修正する能力が欠落している。すると、どうなるか?

とにかく冊数を読み、こなして、体面を保つ。

まぁ、冊数を数百、数千もこなせば、それらが自己組織化的に編集されて新たな「ノウハウ」を生みだすのかもしれない。前者の中でそこへ到達できるのは2割だろう(なぜ2割かは「真似」の人ならわかるはず)。

しゃべることに長けているが、聞いて咀嚼する力が著しく低い。なぜなら、他人の知識や意見をそのまま受け入れる怠惰で表面的な学習しかしてこなかったから、自分自身で学ぶ仕方、自分のフレームを持っていない。フレーム問題を解けない。

このエントリーを読んでいる歯科医院の先生方、ぼくを出汁にして、うさんくさそうならこう尋ねてください。

「どうしてあなたでなければならないか説明してほしい」

ぼくの予想では、8割の人がカバンの中からネタ本を取り出して去っていくかな。それでは 😆