視る要点の差異

琵琶湖

脳科学の最終目的の一つは、意志決定のメカニズムの解明でしょう。「なぜ自分はこのような選択をするのか」という疑問は、誰にとってもいまだ明確な答が見つかっておらず、考えれば考えるほどに誠に不思議な気持ちなるのではないかと思います。

『つながる脳』 P.155

先日、女性と食事していたとき、尋ねられた。

「同じ料理でもおいしそうに見えるものと見えないのがある。どうして?」

ぼくは問い返した。

「その基準は?」

「わからない」と彼女は答えた。嬉しくなった。その後も矢継ぎ早に質問して、このトピックで盛り上がった。iPhoneを取り出して料理を閲覧しながら二人の視る要点を調べた。やっぱり違った。だけど、「おいしそう」と感じる料理の選択はそれほど違わなかった。料理そのものの好き嫌いをのぞいて。

共通した結論は、「料理を上手に撮影する」だった。

だけど、視る要点は違う。彼女は、皿や背景の雰囲気、盛り付けなど料理全体を眺めていた。ぼくの目線は、料理の目(どこにピントが合っているか)や色合い、被写界深度、構図などだ。特に皿や小物へあまり注意を払っていなかった。

ぼくは外食したとき、調度品へ興味を示す。そのときも器やカップを持ち上げてみたりしていた。だけど、料理の写真を見るとき、その目線への比率は低下するようだ。実際に食べる料理と写真の料理、二つを視る要点の違い。それが発見だった。とてもおもしろかったし勉強になった。自分が気づかない観点を指摘されるほどワクワクする機会はない。

実際の料理を見るときは、食べる人の視点。写真を見るときは撮影者の視点。彼女は違った。両方とも食べる人、あるいは作る人の視点だった。ゾクゾクした。

お互いの視る要点は異なる。だけど、ある料理を見たとき、「おいしそう」と感じる。それはうまく撮影されている。じゃぁ、二人の素人が見て、「うまく撮影されている」と受け止める基準は?

そんな基準はない。不思議。