際際と瀬戸際

飛行機雲

「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか?この言明が真であるという根拠を私はどこに見いだしたのか?」という反省がむくむくと頭をもたげ、ただちに「というような自分の思考そのものに対する問いが有効であるということを予断してよろしいのか?」という「反省の適法性についての反省」がむくむくと頭をもたげ・・・(以下無限)

via: 池谷さんの本を読む (内田樹の研究室)

もし、いまだに勤めていたら「平均年収」ぐらいになっていた、と思う(せめて”平均年収ぐらいはないと”という人がいるらしいけど)。個人事業主になって瀬戸際を得た。

瀬戸際は、金の使い方を僕に教え、時間の概念を塗り替えた。瀬戸際に立ち、僕の身の回りを眺めると、見える色彩が変わった。12色のクレパスから24色へ。そして60色のクーピーペンシルを手に入れたかのよう。見えていなかったものたち。

瀬戸際は僕へギャップを教えてくれた。M先生が抱いたギャップとはほど遠い。僕のギャップは取るに足りない。誰かがここの写真へ言及する。それが評価なんだろうな。時折、???を質問される。質問の質問。一体何のための質問か。僕には単なる会話のつなぎとしか聞こえない。内容を咀嚼できない。反応できない。奇妙な感覚に襲われる。

心底憧れる写真はここにあるし、これなんかうっとりする。道具を超越した技術と感覚の領域。いつか追いつきたい。だから自分の写真なんてまったく自己評価していない。

ギャップは「評価」を再構築した。今は評価を気にしない。自分がコントロールできること、やらなければならないこと、死守しなければならないこと、それを見定め、それを淡々とこなしていく。こなしていくなんておおげさだけど。自分なりに「反省の無限」を続ける。評価より反省の無限。

他者の評価の基準は無限。もし、無限を把握できるなら、無限の評価を吟味しなければならない。それは不可能だ。ならば、他者の基準に一喜一憂するより、自ら「ゆらぎ」を創り、反省の無限の「仕方」を学ぶ。

瀬戸際は一期一会を教えてくれた。次があるかどうかわからない。それでよい。それが「緊張感」の意味を教えてくれる。いまだ躰に纏えない礼節。一度限りは不安を生み、不安は感性を研ぎ澄ますよう命令する。その命令を認知できていないから礼節を欠く。これでは僕の先はない。

瀬戸際は削ることを教えてくれた。足すよりも削る。削ぎ落とす。

瀬戸際は実践を教えてくれた。だから、今、「利益」の意味を説得できるし、「価格」の意味を説明できる。そして、「価値」を先生方といっしょに考えられる。

見下ろすよりも見上げる機会が増えた。