Brain weather

iPhone

当て字というか、本来は”能”らしいですが。04/13、夕方からH氏とサイトの打合せ。食事をしながらとのことで、またもやいそいそとお店へ向かう。サイトを起点に話は多方面へ広がる。その中で、僕が気になっていたことを尋ねた。危機感について。

湊かなえさんは2009年本屋大賞を受賞したとき、こう答えた。

「5年後も作家であること、5年後の代表作が今回の『告白』だけでないことを心に誓って、今日をスタートと思って頑張りたい」

比較がナンセンスだけど、5年後も僕はウェブを制作しているだろうか。先人は、「わたしは先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。」と格言を残した。素敵だ。そうありたい。その一方で抱く危機感。楽観と危機感が両極に滞在する。

iPhoneをH氏へ見せて、「DSやPSPはタイヘンだ」と、無邪気にしゃべった。それが第一の感想だった。僕はiPhoneでゲームをしないけど、App Storeへアクセスすると何千種類と提供されている。ゆえにタイヘンだ。

「一つの場所に坐って一つのゲームを長時間する人は少ない」と、僕は観察している。なんだからよくわからないけど気ぜわしい生活を送る人はたくさんいる。大人のみならず、子供たちも習い事で「明日」が埋め尽くされている。埋め尽くされた明日は未来じゃない。そんな人たちが、「時間」を一つの空間で「長く」消費するかな、と予測する。移動中やちょっと暇な時(があるのかどうか知らないけど)にやるようなゲームが求められているような。

もう1つの懸念材料は、携帯ゲーム機に対して、初めて携帯電話がゲームプラットフォームとして強力な対抗馬となったこと。これは、iPhoneの力が弱い日本では実感しにくいが、欧米では明確な現象となっている。例えば、DSファミリの新機種「DSi」が発売されたばかりの米国では、有力ゲーム情報メディアのIGNがDSiのメイン記事に「DSi vs. iPhone Grudge Match」という題した記事を持ってきた。もはや、DSを比較する対照はゲーム機ではなくiPhoneとなっていることを象徴している。北米では、DSファミリとiPhone/iPod touchは同レベルの台数のプラットフォームとなっている。

via: 【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】 絶好調に見える任天堂が警戒する「任天堂ショック」の可能性

「iPhoneの弱い日本」であり続けてほしいと望む人が多いなら、僕の危機感は杞憂に終わる。携帯電話のデザインがコンフォートゾーンを抜け出さないのも、意志決定する世代がガラパゴスであり続けて欲しいと切望し、せめて自分たちが逃げ切れるまではという願望なのかもしれない。

対する世界最大の携帯電話メーカーのNokiaも、例年どおりいくつかのセッションを開いた。対する、とはいったものの、Nokiaのセッションでは特にiPhoneに対して危機感を覚えるような雰囲気は感じられなかった。いくらiPhoneが売れているとはいえ、Nokiaから見れば数%の規模だということもあるし、そもそもビジネスの狙いが違う(N-Gageは若干かぶるかもしれないが、そもそも特別にN-Gageをプッシュする講演を開いていない)ので、ウチはウチで今までどおりにやる、という雰囲気が感じられた。

via: iPhoneへの熱気と混乱に包まれた「GDC Mobile」 -GAME Watch

危機感を抱かせる理路。何に焦点を絞るか? 基準は? NokiaはiPhoneを「携帯電話」と定義して、市場規模を算出し、今のところ静観している(フリかもしれないけど)。他方、岩田聡社長は、「ゲーム端末」と捉え、危機感を抱いた。経営者の嗅覚。

以前、耳にした言葉。歯科医院の伝票を1年分印刷した時、「税務判断」が必要な取引はいくつあるだろうか。経験則から言えば、ない(脱税してなければ)。あったとしても、5回もない。新規開業か移転、M&Aをのぞけば、そんな機会は訪れない。だとしたら、なんのために「存在」するのか。

サービスを提供する側と受ける側、互いに気づかない。80:20の法則。20の中、価値を認める歯科医院は依頼し、価値を認めない歯科医院は記帳代行へシフトしている。80は旧態依然。良悪じゃない。5年後も80のままだろう。Nokiaが携帯電話と定義したように。だけどNokiaの発想からして、「将来も携帯電話の会社である必要はない」と考えているかもしれない。

危機感が内に存在しているか、が問われるのじゃないかな。それを時折、ほんの少しだけ外へ出しているかどうか。危機感を表現しているか。

自分の観察と他人の意見を勘案して導き出された結果、「どうみたって危機感のない」集団や個人はいる。「平均年収ぐらいは」とおっしゃる集団人と出会いたくない。

ぬるま湯のなかにいても、ゲーム業界全体が
ゆっくり死んでいくだけだと思ってましたから。

via: ほぼ日刊イトイ新聞 – 適切な大きさの問題さえ生まれれば。