パッションのちパトス時折パテーマ

皇子山公園の梅

われわれ一人ひとりにとって経験とは、ただなにかの出来事に出会うことでもなければ、ただ能動的に振舞えば足りることでもない。その際にどうしても欠かせないのは、身体をそなえた主体として、他者からの働きかけによる受動=受苦にさらされるということである。この受苦という苦い契機を欠くならば、せっかくのわれわれの能動性も、明快であっても抽象的なものにとどまり、空まわりするだけだろう。

“臨床の知とは何か (岩波新書)” (中村 雄二郎) P.64

関係性。結びつき。受苦にさらされる現実。重層と錯綜。純粋経験。

自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。

“善の研究 (岩波文庫)” (西田 幾多郎)

経験。逆転。対象化の恐怖。回路停止。

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