どうなさいましたか?

皇子山公園の梅

「どうなさいましたか?」と、今の時期、製造業の社長へ尋ねたら感性を疑われるだろう。

「どうなさいましたか?」と、来院してきた時、歯ぐきの腫れで顔が変わった患者へ尋ねたら感性を疑われるだろう。

「どうなさいましたか?」と、予約の時間ぴったり、美容院に訪れたお客へ尋ねたら張り倒されるだろう。

文章にすれば笑える。だけど、「どうなさいましたか?」と尋ねる人は多い。比率はパレートの法則ぐらい。自分を振り返ると、もちろん”80″に含まれている。情けないけどね。周りは、”20″の人を採用しようと必死だ。少人数の組織は”20″を採用しなければ致命傷になってしまう。だから、悩む。どうすれば採用できるのかと。そして、採用にとどまらない。

そんな「感性」に出会う。そんな「感性」の悩みを打ち明けられる。「どうすればいい?」と。

僕自身、”80″の所属だから、”20″の感性を羨望しつつ、”80″の中でもパレートの法則があるかもしれない、と受け止める。そんな「感性」の話を聞く。

他人の手柄は自分の手柄。自分の手柄は自分の手柄。都合の悪い時は、権限と責任や、○○用語を持ち出す。都合の良い時は、自分”だけ”の基準で行動する。自分だ。

何をそんなに恐れている。何をそんなに嫉妬している。何をそんなに嫌っている。

行動すればするほど他者との距離を遠ざけ、遠のく他者に苛つく。「選ばれていない」という現実を直視しなければならない。淘汰は誰にも優しくない。外的要因が偶然にも影響を与えてしまった、自分にはコントロールできない変化に自分は遭遇したのだ、と認識する。

だけど、他者はそう評価しない。

悪くない。自分は何も悪くない。自分のせいじゃない。他人のせいだ。運が悪かった。responsibilityを頭の中で誤訳する。そうやって自分の心を安定させる。

「心の安定」を賭け金にして、”20″へ飛躍する感性を失う。