現場は三次元の空間

浜大津市民ホール

ライムはサックスの結論づけるような口調を聞き咎めた。「まだ始めたばかりだろう、アメリア。現場というのは三次元の空間だぞ。そのことを忘れるな。きみが言っているのは、床の上には何もないということだろう。次は壁を捜索するんだ」

“ボーン・コレクター〈上〉 (文春文庫)” (ジェフリー ディーヴァー) P.165

自分が立っている場所は三次元。あたりまえだと錯覚している。僕が認識して三次元は姿を現す。

三次元を意識して知識を伝えているだろうか。躰が感じる情報をデザインしているだろうか。壁や天井、床。相手に認識させるような設計だろうか。

アフォーダンスを意識した空間。こちらが想定しなかった使い方で遊ぶ子どもたち。アフォーダンスを意識していなくても存在する物質。物質が導く。情報が導く。知識が問いかける。

視覚と手。無意識の視線は、関心のない対象をフレームから排除している。意識の視覚は、興味の対象を無意識にスキャンする。フレームの情報を躰にインストールして自分のOSをバージョンアップさせる。

文字にハイタッチすれば「知った」と誤解する。図にアクセスすれば「見た」と錯覚する。誤解と錯覚から始まればいい。ただひとつ、「なぜ、それはそこに存在するの?」と問えるか、あるいは問われるか。問われるとすれば、誰からからか? 何からか? そうすれば、誤解や錯覚は、理解と知覚へと変換される。

躰が変換した理解と知覚は悟性を備えて、視座を獲得する。視座は一つではない。自分の背後に隠れている。

無限の主観から生まれるたった一つの客観。

見上げろ。