平積みが情報を収集しろと脅す

琵琶湖

大津パルコの紀伊国屋で平積みをスキャンすると、「情報を収集しなさい」と脅かされたような気分を味わえる。タイトルを一瞥して、「知っておかなければなりませんよ」と語りかけてくる。危うく手に取りそうになり、「知ったとしても理解できない」と自制する。「理解できない」は、「私はあの人を理解できない」とか「何を考えいるのか理解できない」といった「理解」じゃない。その本を糸口に自分で体系化して学べるか。あっ、無理とすぐにデリート。

その足で石山のブックオフへ向かう。すると、さっき平積みされてあった本が鎮座していた。そういうものか、と世間の「物流」を垣間見られたかのよう。ブックオフの是非を知らないけど、ブックオフなりの強い分野はあるみたい。

「知識のスローイングとキャッチングの繰り返し」やすい書籍が並ぶような印象を僕は抱いている。その中でまれに「へぇ、どうしてこの本がココにあるんだろう」って奴と出くわす。「どうして」は主観だから売った人はどうでもいい。そうやって主観が集積されたブックオフの本が集まって、当店の強み、すなわち客観へと置換されるのかな。

原氏は現在、古巣の武蔵野美術大学でゼミを持つ。
「美大はまさに実験室という位置づけ。これまでに、たとえば『情報を未知化』するプロジェクトを進めてきた。情報が豊かになったと言われているが、実際は知識のスローイングとキャッチングを繰り返すだけで終わっている。そうではなくて、情報の受け手を、さらに活発な思考へと導く、つまり脳を運動させることが情報の本来の力であるはず」。したがって「知らせるのではなく、いかに知らないかを分からせる」というコミュニケーションの形を研究している。

“ブランドのデザイン (文春文庫)” (川島 蓉子)  P.254

原先生は「欲望のエデュケーション」というキーワードを使った。内田樹先生は、「人間の欲望は他者の欲望を欲望する」と説いた。

「語り手は何を欲望しているのか」という探求を欲望させるような本は平積みされていないし、再度「物流」されない。ともすれば平積みどころか、本棚にもなく絶版されてたり。考え方を考えたり、つくり方をつくる、そういった「仕方」を探求した欲望は他者の欲望のスイッチをオンする。

「欲望のエデュケーション」が成立する空間を創出する。空間の土壌を耕す。それには時間が必要だ。平積みの時間でよい土は生まれない。

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