スタイルとモード

アップルはずっとニッチな会社だった。廉価なコンピュータを大量生産する業界の通例に従わず、利幅の大きいコンピュータを少数売ることで生き残ってきた。これまではそれでよかった。そのやり方を変える必要があるのだろうか。いや変えなくてもいいかもしれない。

via: [CG]アップルが安いマックを出さない理由

今のアップルのコンピューターが高い、と僕は思わない。ただ、価格を数字と価値に分解してみたら、よくわからない。両方の主観にもとづくし、「基準」を何かと比較したら、ある人は「高い」と言い、ある人は「安い」と言う。アップルはブランドの代名詞のように扱われるから、こういった記事に世間は反応するのかも。

Appleの製品は中流~上流の消費者向け? – スラッシュドット・ジャパン

ブランドって何だろう? ほんと、わからない。外側から眺めたとき、気づいたらもう目の前にブランドがある。もし、誰にも認知されていない「ブランド」があるとして、それがブランド化されていくプロセスを外側は認識できるのかな、って考える。

ひるがえって、内側から眺めるとどう映るのだろう。”なか”の人は、試行錯誤してるし、「認知度が上がる=ブランド化」と受け止めていると思えない。「どのあたり」のプロセスで、ブランドになりつつあるって手応えを感じるのか。

僕はシンプルに考えるから、山猫のセリフが端的に言い表していると思う。

何も変わらないためには、すべてが変わらなければならない。

禅問答だ。「何を変え、何を変えないか」と表現したくなる。継続と刷新。両者のバランスを常に模索しなければ、烙印を獲得できない。ただ、これも、「ブランド前」、つまり、誰にも認知されていない状態に当てはめられるのかどうか。あくまで、ブランド化された状態に適応されると考えた方が無難かな。

事実、伝説は現在のにぎわいのなかで語られなければ伝説でも何でもない。どんな伝説も伝統も、メディアのざわめきの海のなかで再話化され、新しく語りなおされてこそ永遠のいのちを保つ。スタイルはモードの風に乗ってこそ新しくよみがえる。「ストリートの魂」が伝統を養うのである。

“ブランドの条件 (岩波新書)” (山田 登世子) P.190

スタイルとモード。ファッションだけじゃなく、両者の意味は、仕事に通底する。何十回も観たコンフィデンスの中で、次のセリフがある。

スタイルは時に死を招く

スタイルに拘泥すれば停滞を招く。モードを追い続ければスタイルを見失う。