月別: 2009年2月

あんたにその能力あるの?

橋本治と内田樹

内田 最初の対談のあと、『勉強ができなくても恥ずかしくない』を読ませていただいて、その中ですごく印象深かったのは、やっぱり主人公のケンタ君が人に奉仕するときにポッと電気が点くという、繰り返し出てくるエピソードです。[…]

橋本 周りの人が好きなんです。[…]好きな人の役に立ちたいという感覚です。

内田 それは今ではすごくレアな言葉でしょう? 現代の社会で聞くことの稀な言葉でしょう。「役に立ちたい」って。最近、聞かないですよ。

橋本 まぁ、私が妙な人だからね。そんなことで驚きもしないですけど。

内田 いやあ、でも…..。

橋本 逆にボランティア志向とか福祉の仕事に就きたいとかいう加工されたレアはいくらでもいるじゃないですか。

内田 でも、あれは聞いていて、違和感があるんです。ボランティアとか、介護したいとか、スクール・カウンセラーになりたいとか。その子たちの身体が、動いてないんです。動くんじゃなくて、まず観念があって…..。

橋本 あんたにその能力あるの? という、そこから始まらなきゃいけないんです。役に立ちたいと思ったとしても役に立てないんです。それでいうと、俺、春先になると道っぱたにハコベが白い花をつけているのを見ると、すごく感動するんですよ。

“橋本治と内田樹” (橋本 治, 内田 樹) P. 219-220

Read More

スタイルとモード

アップルはずっとニッチな会社だった。廉価なコンピュータを大量生産する業界の通例に従わず、利幅の大きいコンピュータを少数売ることで生き残ってきた。これまではそれでよかった。そのやり方を変える必要があるのだろうか。いや変えなくてもいいかもしれない。

via: [CG]アップルが安いマックを出さない理由

今のアップルのコンピューターが高い、と僕は思わない。ただ、価格を数字と価値に分解してみたら、よくわからない。両方の主観にもとづくし、「基準」を何かと比較したら、ある人は「高い」と言い、ある人は「安い」と言う。アップルはブランドの代名詞のように扱われるから、こういった記事に世間は反応するのかも。

Appleの製品は中流~上流の消費者向け? – スラッシュドット・ジャパン

ブランドって何だろう? ほんと、わからない。外側から眺めたとき、気づいたらもう目の前にブランドがある。もし、誰にも認知されていない「ブランド」があるとして、それがブランド化されていくプロセスを外側は認識できるのかな、って考える。

ひるがえって、内側から眺めるとどう映るのだろう。”なか”の人は、試行錯誤してるし、「認知度が上がる=ブランド化」と受け止めていると思えない。「どのあたり」のプロセスで、ブランドになりつつあるって手応えを感じるのか。

僕はシンプルに考えるから、山猫のセリフが端的に言い表していると思う。

何も変わらないためには、すべてが変わらなければならない。

禅問答だ。「何を変え、何を変えないか」と表現したくなる。継続と刷新。両者のバランスを常に模索しなければ、烙印を獲得できない。ただ、これも、「ブランド前」、つまり、誰にも認知されていない状態に当てはめられるのかどうか。あくまで、ブランド化された状態に適応されると考えた方が無難かな。

事実、伝説は現在のにぎわいのなかで語られなければ伝説でも何でもない。どんな伝説も伝統も、メディアのざわめきの海のなかで再話化され、新しく語りなおされてこそ永遠のいのちを保つ。スタイルはモードの風に乗ってこそ新しくよみがえる。「ストリートの魂」が伝統を養うのである。

“ブランドの条件 (岩波新書)” (山田 登世子) P.190

スタイルとモード。ファッションだけじゃなく、両者の意味は、仕事に通底する。何十回も観たコンフィデンスの中で、次のセリフがある。

スタイルは時に死を招く

スタイルに拘泥すれば停滞を招く。モードを追い続ければスタイルを見失う。

時計から解放される

琵琶湖

人間は時計から解放されると、かえって時計のように正確に生きる。

素敵だ。正確に生きる。時間に怯える。もし、規則正しく死んでいることを自覚していないとしたら、おそろしい。

毎日、時計に刻まされた数字を見つめ、規則正しく死んでいる。

時計から解放されよう。時計に刻まれた数字から我が身を解き放とう。そうすれば不安が訪れる。不安が我が身を包み込んでくれる。不安を味わえ。不安を味わえば味わうほど、満ち足りたものの意味を知る。

時計から解放されよう。時計が刻む数字は脳髄を蝕む。時計を見ずに時間を見よう。時間が数字でなくなったとき、時間が我が身を包み込んでくれる。時間を味わえ。時間を味わえば味わうほど、無駄の意味を知る。

規則正しく死ぬよりも、正確に生きろ。

無心

聞いた話。座禅の修行をしている人の脳波を測定する。5分に1度ぐらい、鈴を鳴らす。すると、座禅をしている人の脳波が乱れる。これを何度も繰り返すうちに、脳波の乱れが小さくなる。つまり、鈴が鳴っても、もう慣れてしまって心が乱れない。それを予測し、身構えるからだ。ところが、修行を重ねた禅僧の脳波を測定すると、鈴が鳴るとごとに何度も同じように脳波が乱れる。彼は鈴の音に慣れない。つまり、それが「無心」の境地だという。

“封印サイトは詩的私的手記―I Say Essay Everyday (幻冬舎文庫)” (森 博嗣) P.300

Read More

[Review]: 橋本治と内田樹

橋本治と内田樹

橋本 そういう意味で、「立ち居振る舞いが美しい」という褒め言葉がひとつありさえすれば、「どうすれば立ち居振る舞いが美しくなれるか」に関するノウハウがなくてもいいんですよね。美しい人がいる。自分は美しくない。恥ずかしい。その恥ずかしいを持続していて、何らかの形で一生かけてでも、その立ち居振る舞いの美しいに近づこうという風に、ぐずぐずぐずぐず努力するというのが人生で、それだけでも人生の目的はあるんですよね。マニュアルにしてしまうと、人生の目的を短縮してしまうから、暇でしょうがないだろうなと思うんですけれど。“橋本治と内田樹” (橋本 治, 内田 樹) P.236

Read More

豚丼はいかが?

豚丼 信玄

JR大津駅下車徒歩数分の大津地方法務合同庁舎前にある信玄さんの豚丼を賞味。メニューは二種類。豚丼か豚皿で並・大盛り・特盛り。タレがめちゃおいしい。醤油タレの味付けは甘辛。写真の豚丼は一日限定10食の塩ダレ豚丼並盛り。

豚肉をパクっと食べたとき、予想を見事に裏切られて幸せ。かたいと思っていたけど、とってもやわらかい。ほどよい脂ののった豚肉は、炭火焼きだからしつこくない。塩ダレとよくからまって、御飯をまいてほうばった。

土曜日のお昼時をはずした時間だったので、店内は僕一人。思わず、「幸せだぁ」と声が自然にもれてしまい、お店の人に笑われた。

ほんとうに幸せだ。こんな美味しい豚丼を食べられるなんて。

そなたが造ったもの

そなたが造ったもの

こんなことは、もう止めよう。真の叡智が存在する所とは、叡智自身が造ったものの中か、それとも、母なる自然よ、そなたが造ったものの中に違いない。

“バイロン詩集―対訳 (岩波文庫―イギリス詩人選 (32-216-4))” (バイロン, 笠原 順路) P.33

同じ場所を走る。できれば同じ時間に走りたい。すでにもうあった。あることに気づくか気づかないか。見ているようで見ていない。感じているようで感じていない。言葉が先に来るようでは見ていない。目の前にある。ただそれだけを引き受ける力を宿しているかどうか。それを感じるために、同じ場所、同じ時間、走る。