議論の咬合調整

「議論がかみ合ってませんね」

相手の不快指数を上昇させるかもしれないけど、誰かが口にしないと「理解」の差異を認識できない、と思う。目の前で議論する二人。二人のやりとりを聞く人たち。二人は「説得」と「誤解」に夢中だから、理解の差異を認識できないかもしれない。だけど、周りは薄々感じている。その時、誰が咬合調整するの?

「会議は何のため?」という前提を頭にインストールしておかないと、ラディカルなマーケティングを口にできない。そもそも、その前提すら共有していないかも。それがやっかい。ひょっとして、前提は「伝達事項の確認」だったり、「議論する」かもしれない。一向に「実践」が表出されない事態に焦燥感を抱かず 🙁

問題を設定するプロセス、それが一番難しい。問題を設定する能力。問題を発見する思慮分別。「問題」なんて会議で発見できない。だから、各人が毎日考えなければならない。裏を返せば、「何を考えなければならないのか」を互いに理解しているかどうか。できていれば、「考えたプロセス」を会議で伝える。

自家撞着に陥るとわかって書くと、各人のプロセスの中に「問題」は棲んでいる。それを「発見」する。だけど、「考えているプロセス」を経ずに会議で発見しようとすると、「感想文」の発表会になる。「どう思いますか?」や「どうですか?」があふれかえる。「何かありますか?」なんて目も当てられない。

感想文の発表会を回避できたとしよう。次は上司に承認を得る機会と化ける。稟議書を口頭でやりとりしているような感じ。それらは、意見だからメールで交換すればいい。

毎日考えているプロセスを会議で伝達し、各人が認識してその中から「問題」を発見する。一人で問題を発見することは難しい。それを全員となると気が遠くなる。気が遠くなる作業を経て、発見できた問題を各人が持ち帰り、解決手段を「仮想空間」で交換する。そして、「実践」を会議で決める。「何をやらなければならないのか」を約束するために。責任の共有じゃない。権限と責任の分配。自覚。自立。誰が「やる」のか?

そんなふうに僕は考える。「問題」を発見しない会議、「実践」を決定できない会議にしたくないから、不快指数を上昇させかねない。そう言いつつ、相手の顔色を気にしながら適当な言葉を探す。まるで、スマイリーアイコンみたいに 🙄

すると、ひとつひとつの単語に襞ができる。襞は相手の理解を妨げる。悩ましい。そのへんのさじ加減はとても難しい。それを”コミュニケーション”と一言で片付けるのは容易いのに :no:

スクインツならどうするの?

「実践」の先に存在するのは、顧客。顧客を獲得するため、顧客を熱狂させるため、顧客を驚かせるために「やる」。そう錯覚しているから、思わず口にする。

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