ヒートテックとヒートショック

ユニクロのヒートテックが品切れとの由。昨年と今年、それぞれ1枚購入。マイナスイオンみたいに仕組みを理解している人は微笑むのかなと思いつつ、思わず手が伸びてしまった。 まぁ、暖かくなったと錯覚を味わうのもよいでしょう 🙂

そういえば、2年ほど前からでしょうか、ヒートテックならぬ、ヒットショックにドキリな日も。20代なら気づかない身体の変調。この時期は注意。風呂に入り、ザバッとかけ湯。すると、心臓がドキリ。はじめて気づいたとき、アレっと首をかしげた。かけ湯が熱すぎたかと思いきやそうでもない。原因がわからず、少し不安。毎日続くようであれば、いよいよかと重い腰を上げるも毎日でもない。そうこうしているうちに冬は終わり。

今年もやってきた。ドキリ。昨年あたりから、風呂をでるときもドキリ。ドキリ、トクン =O

気のせいか、だんだんドキリの日が続くような。で、またもやGoogle先生に挙手。「ヒートショック」と言うのですね。なるほど。頭に気にかけなかったおかげで36歳(今年37歳)にして、下敷きを脇にはさんでゴシゴシ擦って頭にかざしてもそそり立つ髪あらず、の状態とあいなりました。もちろん、外見の頭だけでなく、中身の頭にも気をかけずに過ごして、今さらながらため息の日々 😆

というわけで、手前味噌ですが、いつの間にか躰の声には耳を傾けるように。といっても、すぐに病院に行くとか薬を飲むとかにあらず。まぁ、馬齢を重ねて躰が幼児に帰るわけもなく、あちこちにガタがきてもしょうがないと構えて声を聴く。

そうすると、いろいろ気づく。そのなかにクスクス笑ってしまうようなおかしみも。

視点をずらして、客観化すれば、どんなところにもおかしみがある。それをみつけることを、フランクルは「自己客観化」と呼んでいる。

“ぼんやり生きてはもったいない” 岸本 葉子 P.194

ポンと膝を打つ。おかしみ。笑い。深刻な時ほど笑い、知性に富んだ諧謔。他者に要求するのも理解できるけど、自分と向きあうと、毎日発見があります。今年も「自分との距離」をどんどん見直します =P

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