露天の五右衛門風呂が合理的

二日に一度ぐらいで風呂を掃除する。キュッキュッ。たいそうな掃除じゃない。だけど、やっぱりポツポツと現れる彼奴。黴。おぬしどこからやってきた 👿

これでもくらえ、とカビキラーを散布。ゴホ、ゴホ、ゴ、ウ、ウェ、我が身がやられる。強烈な薬品かしらと手首をひねる。ちんぷんかんぷん。昨年の夏、ギャーと叫んでしまった。着古した45rpmのTシャツ。ブルーのなかに肌色一点。ま、まさか =(

そう、やらかしました。いつのまにか付着した、カビキラー君。「へ、オレの威力はお墨付き」と誇示する肌色一点。そうか、ブルーで染める前の原色はこんな色のシャツなのかと妙に感心 =(

一心不乱に磨きながら、頭はクルクル回転。あの人、どうしているの? 身体大丈夫かな。あの子と会いたいな。次々と浮かんでは消える映像と声。声と映像はあのときのまま。もう変わっているのにね。

で、堂々巡りして帰ってくる。ええい、こんなバスなんてイヤだ。黴のない風呂はないのか! 掃除を終わらせグーグル先生へ挙手。「檜 風呂 掃除」

検索結果に見える「黴」。やっぱり。ちょっと待て、その前に賃貸だぞ。かまわぬ、脳内妄想が炸裂した。

それでは石は。「石 風呂 掃除」

同じ =(

そうか、設問が間違えている。「黴のない風呂」ではなく、「黴が発生するプロセス」だ。というわけで、話が理系に舵を切り出したので腰をすえて勉強するように脳内人格が提案。賛成。

最後に屁理屈をこねる。「露天の五右衛門風呂が合理的かも」と。合理的ふるまいが非合理的で、非合理的ふるまいが実は合理的だったりするかもしれない 😆

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