このために生きているな

カフェデュモンドのベニエ

と感じる。しゃぁーわせ。1日2食を少しずつ始めながらもこれだけはゆずれまい。ええ、ベニエ以上に人間が甘いのです。はい。

こういう自堕落な生活をしていると、時の人から叱咤されるのでしょうけど、至極まっとうな論理ですよ。ただ、前提が違う。国民皆保険が前提の人、憲法第25条を当然とする人(言わずもがな当然ですが)は反論する。とはいえ、国民皆保険は持ちませんよという前提でないのに意見したとしたら、どういう回路でつながったのかわからない。ただそれだけの話。漫画に書いてあるのかしら。社会保障費とインセンティブの関係。

生死を社会コストに換算するからだ、という話は出るだろうし、議論すればよい。でも個人と国の視点の対立が含まれるし、感情が入りこむ。保険で”体をほぐしに行く”(老)人は後を絶たないし、臨終間際に費やされるコストを直視していない。

言い方なんてどうでもいいですよ。それよりも、どうして発言するのか、あるいは発言しなくちゃいけないのか、言わんとする内容が妥当であるのか、とか、報道に脊髄反射せずに、自分で推論して検証したい人がすればよい、と思います。「いずれそうなるかもしれない」という貧困な想像力と「むかしどうだったかな」という模造の記憶は闘います。それを俯瞰する絶望を纏えるか。昔は、新聞がその推論と検証作業をやってくれていたかもしれないけれど、今となっては、期待する方が酷。

4冊読んで1万円ぐらい。それで、「考える仕方」の糸口はつかめる。あっ、生きる上で身につけたい知識をコストに換算するなんて、って叱咤されるかも。