服が僕を着る

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

教師も看護婦も、教育や看護の現場でまさに他者へかかわっていくのであり、そのかぎりで他者からの逆規定を受け、さらにそのかぎりでそれぞれの<わたし>の自己同一性を補強してもらっているはずなのだ。ところがここで、「教えてあげる」「世話をしてあげる」という意識がこっそり忍び込んできて、じぶんは生徒や患者という他者たちの関係をもたなくても<わたし>でありうるという錯覚にとらわれてしまう。そしてそのとき、<わたし>の経験から他者が遠のいていく。

『ちぐはぐな身体―ファッションって何?』 P.133

なんだか同じ服を着ている人に遭遇した気分。あの奇妙な気持ちは何だろう。どこからやってくるのか。街の中でばったりしたら、ばつが悪いかのような雰囲気。お互い知らないのに。だけど、小さじ一杯ぐらいの安堵がのっている。

自分の行動の意味を他者に知ってもらう。行動の意味が他者に及ぼす効果を、今度は自分が認識する。自分から放たれた意味は、他者へよりすがり、やがて自分へ帰ってくる。その認識が欠落すると、疲れるのかな、と思う。自分が自分から最も遠ざかる瞬間。「今、ここにいる」ことが、誰かにとって意味を持つと感じられるか。分岐点に立つ。

分岐点から「感じられない」方角へ歩いてしまう。それが、「こっそり」かってどきんとした。ほんと、こっそりだ。さらに忍び込んでくる。忍び込んでるよ、って誰かが助け船を出してくれないと気づかないかもしれない。でも、面と向かって口にしてもらう機会は少ない。面と向かって口にしてもらう機会が欲しい、だから、ダブダブの服や奇抜な服を着てみたくなる。「似合ってないってハッキリ言って」と無言で叫んで。