あれこれもそれもどれも

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

大切なのはわれわれが生き延びていくための「知恵(Wisdom)」であり、それは社会情報から精選されたエッセンスであって、身体をもったわれわれ人間が随時、あたえられた状況や文脈に応じて紡ぎ出すものです。やたらに機械情報ばかり集積しても、かえってその努力の妨げになるだけです。

真のアイデアを練るには情報は少ない方がいい、という逆説さえ成り立つのです。『ウェブ社会をどう生きるか』 P.139

教授(専攻は情報学とメディア学)が唱える逆説に頷いた。逆説の発想を敷衍すると他にも通用する。例えば断食。断食をすれば、身体の調子が良くなるらしい。体験していないし、仕組みを知らないのであやふやな情報だけど、体験者はそう言っているとのこと。

ふと思いついたのは、人生相談。人生相談を、あの人やこの人に相談して、人数分の解答を貰って、結局、何をどうすればいいのか見失ってしまった、なんてお話。ともすれば、最初の「悩み」を忘れる。

僕の場合、情報断食が当てはまる。テレビを断食すれば、調子が頗るよい。少しずつインターネット断食もしてみたい。ネットを断つのではなくネットの情報を断食する。

人生相談と似た陥穽を今思いついた。ウェブサイトの場合、「あれもこれもそれもどれも」といった具合に、問題点を指摘できるけど、結局、何から手をつければいいのか迷ってしまい、何もしない、あるいはできなくなったりする。何かを継続できない、継続できる要素を発見できない。「私は○○を嫌い」で終わるときも。その嫌いな理由を訊ねると、大半がイメージであって、始末の悪い場合、やってもいないのに嫌いと判断しているように見受ける。

そうなってくると、「真のアイデアを練るには情報は少ない方がいい」ではなく、「本当にやらないためには情報が多い方がいい」と考えてしまう。

PDCAという経営用語があって、会議や助言業務の言葉遊びに使われる。PやDが機能してCとAが機能しないとき、原因は、CからAの過程で、「やたらに機械情報ばかり集積して」しまい、結果、「あれもこれもそれもどれも」と「言葉」だけが浮かび上がって、「あれ、Aって何だっけ?」となってしまっている、と自己評価している。だから、とにかく削ぎ落としていくように心がける。

削ぎ落とすために、「何を考えなくてはいけないか」と「問題は何か」を考え抜く。もちろん、やりながら。考える内容が見つかって、問題を表出できれば、余計なことは考えない。機械情報を蒐集しない。可能な限り複数の人格から反証させるように試みる。

と、書いてきて、矛盾しているなと気づいた。まだ明快な理路を書けない。ほど遠い。