哀れむのは誰か

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ファイト!(ペンネーム:「私だって高校行きたかった」に捧げる唄)/中島みゆき

1杯2,000円ほどのスコッチを飲んでいるのかと騒ぎ立てる。助成金を削らないでと涙で訴える。医療の崩壊を精神論で非難し、資金を投じようとするとお金儲けさせるなと暴発する。周りで沸き立つ事象は、一点へ向かう。金。お金だけじゃないよと口にすること、それ自体がお金にご執心。あっても邪魔にならないモノを倫理で審判するから見えなくなっちゃう(のかしら)。そこに感情という得体の知れない怪物が潜む。あ−、コワイ。

外部が定めた評価の基準で私を査定するなら私は貧しいよ。家や車も持っていないし。小さな2LDKに2人で暮らしている。広さは為政者の私宅の玄関ほどもあるまい、と思う(見たことないけど)。もし、子どもを授かれば、今のままなら食べてはいけないな。廃業して一定の収入を探すか、違う道を探すとか。あるいは今のままから脱出するべくもがくか。

万が一、外部が定めた評価の基準で他者が私を哀れむなら、それは哀れみではない。哀れみは、私が私を哀れんだときに訪れる。