単純であることの難しさ

整理整頓が苦手だ。対照的に机がちらかっていると、仕事がはかどらない人もいる。『佐藤可士和の超整理術』の写真を見ていると、異次元の世界だと自分の目に映る。混沌(都合のいい単語!)としている机では、何がどこにあるかを映像で記憶するようになる。だけど、拡散が閾値を超えると、探すのに数分かかる。それが数十分になったりすると手間になり、やがて重い腰を上げて、頭の映像と現実の滅茶滅茶のズレを修正する。

雑然とした机

昨日、そのズレを整理していたとき、メモ書きを見つけた。

Leonardo Da Vinci “Simplicity is the ultimate sophistication.”

「単純であることは、究極の洗練である」、明快だ。今年に入ってから、モノを捨てているような気がする。何を持つかより、何を持たないか。振り返って、捨てられるようなモノしか持っていなかったということだ。ホビーなら違う、と思う。あくまで身の回りのモノ。

馬齢を重ねることとリンクするのかもしれない。というのも、一、二年ほど前から管理できなくなってきたなぁと感じ始めた。もう何を持っているかすら覚えていなくて、捨てようとして、「おお、こんなモノを買っていたのか」と気づく。何で買ったのか思い出せないときもしばしば。だから、今は本当に必要かと自問するようになった。対象物を買って、それを使いこなしている姿を明確に描けるかどうか、と検討する。何度も書くけど、ホビーは違うだろう。どうしても手に入れたい、という気持ちがある、と想像する。

机のまわり

「単純であることは、究極の洗練である」ことの難しさ。それは、使いこなせること。自分の意識に問題がある。身近なガジェットで考えてみよう。僕は、Happy Hacking Keyboard Professional2 PD-KB400Wを使っている。シンプルなレイアウトに魅了されて買った。すばらしい。何一つ文句ない。でも、いまだに使いこなせていない。すべてのキーは両手で届く範囲にあるのに、手の動きが追いつかない。僕の動作が洗練されてない。

カメラはK10DとGR DIGITAL IIを使っている。K10Dのレンズは31mmと77mmと40mm。単焦点ばかり。ズームレンズを1本持っているけど、ほとんど使わない。ところが、こちらも使いこなせていない。単焦点を使いこなせていないというよりも、風景を切り取る視点を持っていない。「このカメラを買えばキレイに撮れます!」と宣伝されるカメラで撮影すると、たしかにキレイだ。だけど、何かが違う、とすぐに気づく。躍動感、アングル、立体感、光と影…..。閃き。視点。

HHK Professinal2

現在、ある歯科医院のプロジェクトに参加している。参加するにあたって、Wikiを用意した。Wikiにあらゆることをアウトプットしてほしいと提案した。問題、課題、成果、実践方法、ミーティングの内容、とにかく何でもいい。限られた人員で、限られた道具で、限れられた資金、そして何より限られた時間のなかで、単純であること、メソッドを使いこなせること、そしてすぐに実践できることを考えた。

「単純であることは、究極の認識である」ということを、プロジェクトで伝え続けていきたい。