家計簿とレジがリンクしたら?

便利になった。家計簿をつけていて領収書の内容を思い出せないとき、検索する。伊勢丹で買い物したとき、不親切な商品(まったく意味のない普通名詞だけ記載されている)を除けばけっこうな確率でヒットする。イオンも同じ。このあいだ、レシートとレジを眺めていたとき、頭の中で映像を描いた。すでに実行している会社があるかもしれない。

イオンで買い物をするとき、クレジットカードで決済する。ユニークのIDとパスワードを発行しておく。 カード番号とユニークのIDをリンクさせておき、レジで入力された内容をインターネット上で閲覧できるサービス。それを映像で想像していた。インターネットからデータをダウンロードして、専用ソフト(できれば汎用ソフトがいいけど)にインポートすれば、家計簿がアウトプットされればなおよい。

ローソン

食料品の購入記録がデータ化されていれば助かる。健康診断のときに記入した、「形」だけのアンケートに答えなくてもよくなる。「形」だけのアンケートを見て、栄養士がテンプレートなアドバイスする時間もいらなくなる。お互い有意義な時間を他に見いだせるだろう。とりあえずその映像を記憶させて、家に帰ってから自分を疑った。この発想の何がおかしいか。受け入れられない理由は何か。余計なお世話だろとかをリストアップしていく。

日常生活でこうなったらおもしろいな、なんて映像を頭に浮かべ、そのなかで生活をしてみる。その次にその生活が突拍子もないリズム感かどうか想像する。それから供給者と消費者の両面から違和感を指摘する。そうやって自分を疑う癖をつけてきたように思う。

電柱の意味なしスローガン

他人がどう思うか、と考える前に、自分はどう思うかと考える。自分はひとつじゃなく、一つ考えては一つを疑っていく。なるべく沢山の視点を自分のなかに持つように努力して自分を見つめる。他人と自分を比べる必要はない。以前にも書いたけど、周囲を観察していると、自分を気にかけている人は案外少ないように思う(気のせいだったらごめんなさい)。容姿や所有物にお金を投入しても、その人たちの行動を見聞すると、「まわりまわって自分に被害が被るのに」と訝ることもしばしば。

昔、「相手の立場にたって考えなさい」なんてフレーズをビジネス本で読んだ。当時、なるほどと頷いた。今は同意できない。むしろ、そんなフレーズをさらっと口にしたり、書いたりする人は、メールで機種依存文字を使って送信したりするのではと穿ってしまう。機種依存文字なんて知らないと反論するかもしれない。そういうときは、「私はあなたのおっしゃる話の大半を知りません。それで何か差し支えあるでしょうか?」と答えるようになりたい、と願っている。