月別: 2008年9月

何を創っている?

キャラバンへかばんを受け取りに行く。3週間前にオーダーしていたかばんだ。ワクワクしながらお店の階段を上がる。どんなふうに出来上がっているのか、頭の中のイメージとどれだけ違うか、ドキドキ。

お店のご主人は、松山千春にほんの少し似ている(すごく主観が入ってます)。30代っぽい。シャイな感じで、オーダーのときも、積極的に提案されなかった。1人で切り盛りしている。

CARAVAN

かばんとご対面。

オーダーしたかばん

すごく気に入った。メッセンジャーバッグ的な持ち方をしたかったので、できるだけ持ち手を短くしてほしいと頼んでいた。たすき掛けしてみたら、肋骨の横に鞄が密着。ご主人が、「持ち手はもっと短かいほうがよかったですか?」と尋ねてくれた。まったく問題なし。

脇のすぐ下にかばんがピタっとくっつくようなイメージを抱いていたから、ご主人の心遣いが嬉しかった。持ち手が少し長くなったけど、脱着を考えるとちょうどいい。僕が想定していた長さだと、実用には不便だっただろう。ほんとうに嬉しい。

鞄のひな形

形(50パターン)と持ち手(20パターン)と生地(200パターン)を組み合わせて、バッグを作ってもらう。3週間前、僕が選んでいるとき、お店の中には、4人1組の女性客(20代と40代の2組、合計8人)がいて、狭い店内は、ごった返していた。僕はすぐに決まったけど、女性客は悩んでいた。

CARABANの生地

20代の4人組は、夢中になって選んでいた。もう友達のことなんてかまってられないような雰囲気。でも、ときおり「どうするの?」とか聞いてみたり。40代の4人組は、店内に飾ってある完成品の中から選んでいるみたいだった。1人が肩にかけると、3人が一様に「いいわぁ」なんて声をかけながらウキウキしたご様子。迷うだろうなぁ、でも、それが楽しいよなぁ、と観察していた。

CARABANの店内

かばんを受け取りに行ったとき、ご主人はミシンを踏んでいた。店内には誰もいなかった。1人で何もかもしなければならないけど、飄々としている。シャイなご主人が創ったカバンを手に取って僕は喜ぶ。

次のかばんを選ぼうと、生地と形を眺めている間、再びミシンが、ジージーと音を立て始めた。僕の視線は、かばんとミシンを何度も往復する。いつかこんな仕事をすると誓った。今は、何も創っていない。いや、作れない。だけど、いつか、自分の創ったものを手に取る人たちの笑顔と出会う。そんな創作をしたい。

CARABANの店内

ちなみに、創ってもらったかばんの値段は、5,565円でした。とっても素敵なかばんをありがとうございます。すぐ近所だし、近々2つ目をお願いします :mrgreen:

揚げ足をとる

27日の土曜日、近江舞子へ行くために近江今津行き各駅停車に乗った。車内にいた2人の女性が、ドアの上に差し込んである路線図を見ていた。停車駅でも調べているのかなと、僕はチラリと女性を見た。「コレ、嵯峨野線や」とつぶやいていた。彼女たちは、雄琴温泉で降りていった。そのあと、比叡山坂本と堅田で、乗客の半分以上が降りた。のぞかな風景が続いた。

湖西線にある嵯峨野線の路線図

堅田駅を過ぎた頃、男性の外国人が、路線図を見ていた。さっきの女性が見上げていた路線図。男性は、車内で爆笑していた5,6人のなかの1人だ。日本語のアナウンスを理解しているのか、それとも、音で聞き分けているのか、いやいや、そもそも男性が何を知りたいかなんて僕はわからないから興味津々で眺めていた。男性たちは英語で会話して爆笑していた。こんなとき英語で話しかけることができたら違う世界をのぞけるなぁ、と妄想していた。

湖西線の車両に嵯峨野線の路線図。めずらしい光景じゃない。湖西線や嵯峨野線は、まだ古い車両(緑と橙)が走っている。嵯峨野線で走っていた車両で、路線図を差し替える手間が惜しいのだ、と推察。物量としての人を減らした結果、想像力を失った。1人の人間が多角的な視点で想像できれば、数分で終わる作業すら惜しい、といったところか。

先ほど、WAKWAKから[重要]と記載されたメールが届いた。件名は、”[WAKWAK-information] 【重要】フレッツ接続用DNSサーバの変更について”、差出人は、”support”とだった。ちゃんとした組織が、意味不明の差出人メールを送信してくるのかとびっくりした。僕は、件名より先に差出人を確認するから余計に目に付いた。

メールを読んで、「伝える」ことの難しさを痛感した。

拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

平素は WAKWAKをご利用いただきまして誠にありがとうございます。WAKWAKでは、信頼性向上、セキュリティ強化を目的として、フレッツ接続用DNSサーバの変更を実施しております。DNSサーバのIPアドレスはインターネット接続時に自動で設定されますが、手動にて既存のフレッツ接続用DNSサーバのIPアドレスを設定されているお客様につきましては、新しいフレッツ接続用DNSサーバへの設定変更をお願いいたします。詳細は下記のとおりとなります。

新しいフレッツ接続用DNSサーバはWAKWAKのフレッツ回線からのみご利用いただけます。なお、既存のフレッツ接続用DNSサーバは平成21年3月末を目途に廃止させていただく予定です。該当するお客様は早めの設定変更をお願いいたします。

お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解とご協力を賜わりますようよろしくお願い申し上げます。

「手動でDNSを設定している人」へ注意を喚起するためのメールなのに、「DNSサーバーがいつから切り替わるのか」は記載されていない。注意書きには、

平成21年4月以降は、既存のフレッツ接続用DNSサーバは使用できなくなり、ホームページの閲覧が出来ないなどのエラーが発生しますので、必ず設定変更をお願いいたします。

と書いてあるけど、「いつから」は書いてない。「実施しております」と書いてあるので、すでに切り替わっていると思う。万が一、まだ切り替わっていなければ、DNSの設定を変更すると、「ホームページの閲覧が出来ないなどのエラーが発生」する。DNSの手動設定なんて少ないと判断しているかもしれない。

  • 手動でDNSを設定している人が何を知りたいかを想像していない
  • 手動でDNSを設定している人に何を伝えなければならないかを考えていない

ことが重なるとこうなるのか、と参考になった。

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価格? デザイン? 文化?

エディ・バウアーの大津パルコ店が、9/30で営業終了するとのこと。さっそく行ってみた。2007年に開店して、1年ほどで撤退。THANKS SALEのハガキには、「諸般の事情」と書いてあった。5Fにある紀伊国屋書店へよく足を運ぶので、諸般の事情がよくわかる。

エディ・バウアー大津パルコ店営業終了

店内の洋服は、20〜30%off、秋物の新着は定価のままだったので、別の店にまわすのかな。それにしても、安いなぁと思った。ボタンダウンの長袖シャツなんて2,900円ほどで売っていた(50%以上のOFF)。パッと見た限り、デザインやつくりに不満はない。だけど売れてない。それもそのはず、店内にお客がいない。閉店セールに客が来店しないのだから、1年間の営業も推して知るべし。

パルコの壁

1時間ほどウロウロした。その間、何がダメなのか思いを巡らせていた。価格, デザイン, 文化, 接客, 雰囲気…、自分でバカだなぁと呆れるけど、どうしても何がダメなのかなぁと観察してしまう。ユニクロより高い。GAPとテイストが似ているようでそうじゃない、だけどテイストの違いがわからない。パンフレットを眺めると、湖や山、草原を背景にしたモデルの写真が多い。とにかく伝わってこないことだけが伝わってくる。

店を出たあと、すぐ目の前にあるユニクロをのぞいた。こっちは人、人、人。キャンペーン中らしい。レジには20人ほど並んでいるし、6,7つある試着室も列を作っていた。店内の人は、ぶらぶら歩くより、買うぞと意気込む人のほうが多いように感じた。どんな人が買い物に来ているのか、ひととおり眺めて、店内のスタッフの動きとアナウンスを聞いて、ユニクロを出た。価格の訴求力を再認識。

伊丹十三氏の『スーパーの女』に、「安かろう悪かろう」というセリフがある。今なら食べ物にフォーカスがあたるし、他にもあてはまる商品はたくさんある。洋服に付けられたMADE IN CHINAのタグを見て、座りの悪い感情が交錯。しょうがいない諦めと昔ほどダサクない納得感が、しょうゆとんこつのようにからまっている。色やデザインもおかしくないといえばおかしくない。

洋服のような「形」の商品ですら、「伝える」ことが大切になってきた。ましてや、「形」のないモノは、「伝えなければならない」ことが商品だ、とメモしておいた。

素直でワガママ

素直でワガママってステキ。矛盾してないよ。自分に素直だからワガママなんだ。

大人は、素直と我が侭を切り離す。矛盾は、わかってもらえないし、受け入れられない。大人は、「素直になりなさい」と教える。それは、自分に素直になれってこと? それとも、他人に素直になれってこと? わからないよ。

子供が、自分に素直になれば、大人は、我が侭だと叱る。子供が他人に素直になれば、大人は、よい子だと褒める。自分に素直になれなくて、心の中は矛盾を抱えている。純粋な矛盾。

素直のベクトルが他人に向いて、愚痴のベクトルが自分に向いた人を、大人は、「オトナだな」って言うんだ。

素直のベクトルが自分に向いて、天の邪鬼のベクトルが他人に向いた人を、オトナは、「子供だな」って言うんだ。

素直なオトナが、みんなに素直になると、大人は「優柔不断だな」って陰口をきくんだ。

優柔不断なオトナが、みんなに断定すると、大人は「固陋だな」って陰口をきくんだ。

矛盾を矛盾のまま受け入れない人間は、子供、矛か盾の片方を受け入れて、片方を排除する人間は、オトナ、と、大人は名づけた。だったら、オトナより子供を選ぶよ。そう伝えられる素直さを失いたくないから。ワガママになれば素直に感謝するよ。

ある人は、「人前であがる人間ほど感受性が豊かで、人物として面白い場合が多い」と言ってた。オトナは、人前であがらない。子供は人前で緊張する。だったら大人は?

理解の外側の人は目の前にいつもいる

彼らは、どうして自分は自分の知っていることの重要性をオーバーレイトし、自分の知らないことの重要性をアンダーレイトするのか、その非対称の理由についておそらく一度も省察したことがない。

via: 知識についての知識について (内田樹の研究室)

火曜日、明日都浜大津トレーニングルームで2時間ほどすごした。自転車をこぐようなマシンからはじめて、ストレッチ、それからベルトコンベアの上を30分走って、下半身の筋肉をいじめる器具を使う。これでおおよそ1.5-2時間ぐらい。最初の頃は、器具を使うことに意識が集中したり、数値が気になったりしていた。この頃は、別にどうでもいいから淡々とこなす。むしろ、意識は、周囲の人へ浮気する。

わっぜ家のデザート

つい最近では、アンチエイジングな50歳ぐらいで胸と腕がムキムキだけどお腹は鍛えてないよと一目でわかる男性が気になった。僕が、トレーニングをはじめる前から入室していた。だけど、トレーニングしているようではない。と、思ったら、ほんの少しだけ胸と腕を鍛える器具を使っていた。と、思ったらすぐにウロウロしはじめる。その男性の近くには、僕と同世代か少し若い女性が、ひとりで鍛えていた。男性は、機を見て女性に話かけていた。妄想すると、2人はここで知り合って、話をする程度のお知り合いっぽい?!

女性のトレーニング方法を横から監視しては、コメントしているように聞こえる(さだかでない)。女性が、器具から器具へ移動すると、男性はストーキングしない。しばらく、スタッフの人と筋肉談義の話で盛り上げる。スタッフは、「へぇ」と「はぁ」と「なるほど」しか口にしていないようだった。僕がベルトコンベアの上で走りながら、目の前のメータに表示されたアイコン(カロリーを食べ物に換算)が、「ああ、やっとキャンディーから飲み物に変わった」と思ったぐらいに(短い時間です)、横目でチラリと男性を捜すと、女性の横にいた。

僕がベルトコンベアの上で走っている間、男性は、「女性の横とスタッフの筋肉談義」を繰り返していた。

わっぜ家のメッセージ

火曜日、10:30ぐらいにトレーニングルームに入ると、違う男性とはちあわせした。今度の男性は、両腕をまっすぐのばさず、肘から少し湾曲させて(上腕と脇の角度は20度ぐらい)肩をいかりっぽく歩いていた。逆三角形のシルエットをつくっているようだ。胸の筋肉がじゃまで両腕をまっすぐのばせないと訴えたいのかもしれない。だけど、後ろ姿の男性の腕と脇の間から、向こうの景色が。はっきりと見える。

ナイキの半袖シャツにナイキの短パン、頭には水泳帽のような黒のキャップをかぶっている。靴は赤のナイキ。なんだろ、ナイキの広報部の人だろうか。「形から入る」という単語を映像で記憶するには、もってこいだった。

僕が、ベルトコンベアの上で走っている間、男性は大きな鏡の前にいた。ストレッチをするのか、いや、ゴムボールの上にのるのか、それとも、床運動でもするのか思っていたら、身体をずっと眺めていた。そして、時々、胸と腕を鍛える器具に座っていた。

僕の理解の外側にいる人は、新聞やテレビのなかではなく、目の前にいつもいる。それに気づくかどうかだ、と思う。理解の外側に遭遇しても苛立たず、そのまま受け止めて、評価する。その気づきが、「自分が知っていること」は知の文脈の中でどのようなポジションを占めているのか、ということを認識させてくれる。

「この人の言うことなら信用ができる」という判断がくだせる人に出会うまでやはり大量の書き物を読み続けるしかない。
「自分が知っていること」は知の文脈の中でどのようなポジションを占めているのか。
「知識についての知識」を得るためのショートカットは存在しない。
そういうたいせつなことはグーグルで検索しても誰も教えてくれない。

via: 知識についての知識について (内田樹の研究室)

誰も視なくなったゴールデン

少なくとも98年度下半期以降でNHKが同時間帯1位になったデータはなく、NHKも「これまで、半年間の平均でゴールデンタイム1位ということは聞いたことがない」。民放の在京キー局の幹部は「我々は社会の空気の変化についていくのが遅れてしまったのかもしれない」と話した。

via: asahi.com(朝日新聞社):NHK、視聴率トップに 上半期ゴールデンタイム – 文化

あえてのタイトルにしてみました。第一印象は、自分の生活と合致している。19:00から22:00までの間、Wiiの番組表をテレビ画面に映しても、視たい番組はない。奥さまは、コナン君やヤッターマンが好きなので、画面に映っているのを上の空で視ている。一人なら19:00か21:00のニュースを視る。それも最近では少なくなってきた。

この記事に便乗すると、今年に入って、SANKEI EXPRESSに掲載されている週間視聴率ランキング(TOP20)の変化が、気になっていた。NHKニュース(19:00)のランクインが、多くなった。それも、●●日付けとわかれてランクインしている。最初は、その日に災害や重大ニュースでもあったのかなぁと思い出すけど、そうでもない。ほんとうに「ニュース」を視ているんだと実感した。この記事を読んで、SANKEI EXPRESSのランキングは、脚色されていなかったんだと納得。

想像するに、ニュースと情報番組を融合させたような民放の手法に辟易しているのじゃないかな。あと、キャスターやコメンテーターのポジショニングトークが、耳障りな雑音に変わった。キャスターは、政治家や公的機関を糾弾したり、事件を批判したり、世情を憂えたりする。コメンテーターも同じ。視聴率が前提だから、分布図のもっとも集中している地点(=倫理や理解)へ、ポジショニングトークは着地する。言い換えれば、その地点の水準に合わせた番組を制作している。

分布図の中の大衆は、いままでテレビを視ていた。もっとも集中した地点からはずれた人も視ていた。分布図の外の人は、はじめからテレビを視ない。今、分布図の中の人が、テレビから離れつつあるか、あるいは、情報番組に価値を見出さなくなったんだと思う。そして、キャスターとコメンテーターの言動に疑問を抱きはじめた。

今ならネットで調べれば、おおよその事実関係を把握できる。大勢のブロガーがそれらについて書いている。優れたブロガーの思考は、たいてい尖っている。データを揃えて反論したり、対偶で世の中を観察していたり、倫理で価値を評価せずに論理で冷静に説こうと挑戦していたり、とさまざま。視聴率は関係ないから、対話できる(したい)相手へ言葉が届く。思考が尖っているから、読み手は、テレビにない情報を発見する。ライフハックな情報でも、テレビにないから重宝する。

ただし、情報と知性を峻別する判断は難しい。その難しさに気づき始めた。自分の言葉で伝えようとするブロガーの文字列と出会って、情報と知性を峻別する基準を持っていない自分に気づいたとき、テレビのくだらなさに驚く。そして、いままでテレビを視ていた「時間」を再考する。そうなると、テレビの前にもう座ってられない。情報を獲得する手段と割り切っても、効率は最悪、ノイズも多い。検索もできない。

「時間」に目覚めた人は、視聴者の分布図から外れて、事実を淡々と読み上げるNHKのニュースへなだれ込む。ブログのネタや書くきっかけがほしいから。NHKのニュースは、ノイズが少ない(公正や中立という意味じゃない)。30分ほど視て、あとはネットの扉を開くか、読書をするか、趣味の部屋に棲むか、ずっと仕事をしているか。いままで視聴率の一翼を担っていた10代は、携帯電話を片時も離さないし、それで視たいシーンだけ視たり、小説を読んだり、ネットにアクセする。音楽も聴ける。

って、長々と書いてきたけど、ほんとうは一言ですむ。それをさもブログ風に書きたかっただけ。一言は、「つぶやき」に書いとこ。

まっちゃんの差し金

昨日、F歯科医院のミーティングへ出席。前回のミーティングからちょうど2週間。「認識」と「実践」が意識のなかに留められているか確認した。ミーティングを観察していると、自分の観測がことごとく間違っている、と気づかされる。

診療後、ミエットへ。今日は、鯖の美味しさに思わずのけぞった。イタリア料理で鯖を食べたのは、はじめてだと思う。和食の鯖とまったく違うので驚いた。すごく美味しかった。人を幸せにするレシピ。

そろそろお開きになろうかというころ、K先生が、私のグラスへお水を注いでくれた。「まっちゃんの差し金です」と言葉をそえて。ツボにはまった。可笑しかった。「差し金」を耳にしたのはひさしぶりだ。おまけに、K先生の言い回しと表情が、絶妙だった。この一言が、私の中で、K先生との距離をぐっと縮めた。まっちゃん、ほんとうにありがとう。

ちなみに、「差し金」は

さし‐がね【差し金】

(1)(「指矩」とも書く)「まがりがね(曲尺)」に同じ。

(2)文楽の人形の左手に取り付けられ、手首や指を動かす棒と紐(ひも)の仕掛け。

(3)歌舞伎の小道具。蝶・鳥などを操る黒塗りの細い竹ざお。

(4)転じて、陰で人をそそのかしあやつること。「局長の―で動く」

(5)⇒さしきん

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

が語源。意味を理解した単語が増えると、会話が洗練され、豊かになる。もっともっと勉強したいと思う。

お開きのあと、今ちゃんと途中までいっしょに帰る。電車のなかで、今ちゃんが担当したミーティングの司会)について少し話した。

  1. うまくこなせなかったら、みんなどう思うだろう? (被害妄想← マイナスの意味で使っていません)
  2. ミーティングを失敗しないようにしよう (自意識過剰 ← マイナスの意味で使っていません)

2つの要素が、司会者の心理を圧迫して、進行をたどたどしくさせている、と観測したので、それを伝えた。こういう被害妄想と自意識過剰の矛盾は気づかない。それの対策は、

  1. 他者の評価を気にしない。他者の評価は。主観であって、司会者は覆せない(捕捉しておくと、鈍感になれというわけじゃありません)。コントロールできない要素におびえるより、コントロールできる事柄を一つ一つ片付けていく。
  2. ミーティングを失敗しないようになんて考えない。目の前にメンバーがいるのだから、司会者の舵取りひとつで失敗するわけない。もし、失敗するとしたら、それは、メンバー全員がミーティングに無関心ということ。

今ちゃんが指摘したように、K先生はとても大切な役割を果たしている。ミーティングの表情が変わった。 その変化を感じとるアンテナを、今ちゃんは持っている。すばらしい感度と感性を大切にしてほしいなぁ、と帰りの車中で熟熟考える。とはいえ、今ちゃんに伝えたように、失敗を考える回路は、必要だ。成功は”する”ものではなく、目の前の小さな失敗、見えていない失敗を、ひとつひとつつぶしていった結果だ、と思う。失敗は、本人が想定するよりずいぶん前にやってきていることが多く、どれだけ早く気づくか。気づくには、いくつもの視点が必要だ、と考える。

ヨッシー、最後のワインはさすが。感動した。「どのタイミングでグラスに注ぐかずっと考えていた」のセリフ、素敵だと心底思った。F先生の独演会は、いつも楽しみ。F先生の感性を盗みたい。ただ、いつもF先生に甘えてばかりで、心苦しい。微力でも仕事でお返ししたい。

「幸せとは何ですか?」と問われたら、「幸せを考えないでいられることが幸せ」と答える、と書いた哲学者の本を思い出す。「ああ、そうだな」ってうなづき、「でも、今日ぐらい幸せについて考えても許されるだろう」だなんて、人を乗せた速い列車の中から窓を見ると、にやけた顔が映っていた。