自分以外は天才

有限と微小のパン (講談社文庫)

人格だけじゃない、すべての概念、価値観が混ざっていないのです。善と悪、正と偽、明と暗。人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。けれど、彼ら天才はそれをしない。両極に同時に存在することが可能だからです。『有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER』 P. 127

記憶力が良い、計算が速い、走るのが速い、高く跳べる、重い物を持ち上げられる…..世界中の誰よりも。道具を使わない状況下では「誰よりも優れている」と評価できる。「誰よりも優れている」なかの「誰か」が道具を発明して、それを使えば評価は一変する。人間は道具を使う。そして、「誰」の範囲を「何」に広げた途端、人間は「何」かよりも劣る。道具を使わない状況下、道具を使う状況下、「何」との比較、それらいずれにも当てはまらない価値を人間は持つ。人間が持つ価値。それは思考。

“天才”を思考したことがない私が、言葉に還元された「天才」に出会って、「意味」を知る。思考は言葉に還元される。こう書くと、思考は言葉によって行われるように受け止めてしまう。受け止めてしまえば躓く。それを疑問に抱くかどうか。

自分の思考を表現する手段として言葉を選択したとき、意味を判断して、必要と無用をフィルタにかけ、的確な単語を選び、適当な文字数を算出して道理の文章を脳裏に描き、発話する。それらを瞬時にフロー化できれば、接続詞はいらない。言い訳なんて単語は辞書から消えるだろう。

「人間のほとんどは馬鹿です」犀川は立ち上がりながら微笑んだ。「僕の試算では、九十四パーセント。ただし、忘れないで下さい。馬鹿は、悪いことではない。低いことでもない。卑しいことでもありません。死んでいる人間は、生きている人間よりも馬鹿ですし、寝ている人間は、起きている人間より馬鹿です。止まっているエンジンは、回転しているエンジンよりも馬鹿です。それが馬鹿の概念です」『有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER』 P.425

他者と馬鹿の概念が一致していれば、感情を考慮にいれる回数は減る。オブラートに包んで伝えるなんてフレーズは存在しない(その行為がすでに馬鹿なのだろうけど)。いや、伝えない方がいいのかも。伝える/伝えないの判断すらできないから私は馬鹿なんだ。「それは言い訳です」と相手に言えば終わる。だけど、その言葉は勇気を私に求める。相手に対する勇気じゃない。自分へ課す勇気。果たして自分はそこまで自分を制御できているのか。否、言葉と勇気を関係づける考えが愚かだ。

私は自分が馬鹿だと思っている。その集合は私一人。それ”以外”は天才。ただし、「思考」を認識できていればのお話。たぶん認識していない。だから、犀川助教授が指摘する馬鹿ではなく、私はいわゆる「馬鹿」だなと納得。