山男と海男

鎌倉を訪れたとき、カラダがかつてないほど軽やかになってココロが浮きだったのはなぜだろうとずっと片隅に置いている。たぶん答えはわかっている。山と海。生駒山がすぐの場所で育った。山が好きだった。小学生の5,6年の2年間、月に2回ほどのペースで生駒山に登ってわざと知らない道を選んで山を下りた。知らない道を通るたびに山の表情が違うようでワクワクした。大山 (鳥取県)剣山 (徳島県)茶臼山 (愛知県・長野県)車山を登ったり上高地周辺の山を登ったとき、頂上から眺める景色より道々の表情にココロが動いた。時を経ていつしか山への関心が薄くなった。ほんとうに好きではなかったと思う。だけど好きと使いたがる。

海。海は身近になかった。表情を感じとれない。よくわからない。身近にないから旅行で海を訪れた。伊豆、白浜、若狭、福井、北九州、小豆島、淡路島、高知、徳島、沖縄、宮古島…..それ以上は思い出せない。印象に残っているのは宮古島と伊豆。といっても、好きと言わない。好きを使わない。

この違いは何だろう? それが問題。

山男か海男、そんな言い方を耳にする。山型か海型かとも。分類という人間の癖のひとつだろう。主観。概念すら定義できない。だけど、それがあれば測りやすいから自分も身を委ねる。いままで山男だと納得していたけど違うようだ。旅行で訪れる海にカラダがあってるみたい。どうも周りが指摘する。海にいる私はイキイキしていると。泳げないのにイキイキしているのが不思議だと。だったら海男なんだな。ちょっとまて、イキイキと性格の指標に関連はないだろとツッコミ。いや、自分ではわからなくなってきた。

気づく。山男か海男かと分類しているけど、そもそも山と海はどうやって生まれたのだろうと。

山は、大陸移動(プレート移動)に伴う褶曲や断層運動、隆起、火山活動、堆積、浸食などの地理的要因により形成される。山 – Wikipedia

単語は理解できるけど原理を理解できない。

地球は46億年前にたくさんの微惑星が集まって誕生した。誕生直後の地球の表面は、微惑星の衝突エネルギーによる熱で岩石が溶けたマグマの海(マグマオーシャンと呼ばれる)に覆われていた。地表はマグマの熱と大気中に大量に存在した二酸化炭素による温室効果で非常な高温となっており、水は全て水蒸気として大気中にあった。その後地球が徐々に冷やされると、水蒸気として存在していた水が雨となって大量に降り続け海が誕生した。海 – Wikipedia

山と同じ。

私は、情報に興味が薄れていく自分と日常にあふれる原理に猛烈に興味がわいている自分の狭間を往来している。往来は混沌。混沌から秩序へかわるときがやってくるのかなんてわからない。なすがまま。ありのまま。そんな私にとって、山と海が両方ある鎌倉は福音。理屈の探求と理屈じゃない自然の両方を目の前にできたから。

山男か海男かという分類を自己決定する自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。自分の語彙から山男と海男を消した。二つの単語を消した代わりに、二つの新しい単語を手に入れたい。それは山と海。まだまだ先だ。