[Review]: 無所属の時間で生きる

無所属の時間で生きる (新潮文庫)

城山三郎先生は四十にさしかかるころ、仕事の上でのストレスから体重が47kgにまで落ちた。その頃、三種類の睡眠薬を飲んでも眠れなかったという。三十代半ばから筆一本。不安にかられると、「なぜ、退職したのか」との悔いが顔を出した。三十代最後の年、「耐えること、耐えること、耐えること」と、三度反復したメモ(ご本人は忘却の彼方のご様子)。会社勤めを一度も経験せずに経済モノを執筆なさった。周りには「岡目八目」と韜晦。「物事を過度に考える性格」と自己分析した先生。その三十代の風景を36歳の私は脳裏に描く。

戦後最大の財界人石坂泰三を調べていて、幾日か出張するとき、空白の一日の日程を組み込んでいることに、私は注目した。

旅先で好奇心の湧いた場所や人を訪ねるためもあるが、ただ風景の中に浸っていたり、街や浜辺を散歩したり。経団連会長や万博会長など、日本でいちばん忙しい男であるはずの時期でも、そうであった。

その空白の一日、石坂は二百とか三百とかの肩書きをふるい落とし、どこにも関係のない、どこにも属さない一人の人間として過ごした。私はそれを『もう、きみには頼まない』(毎日新聞社、のちに文春文庫)の中で、「無所属の時間」と叫び、その時間の大切さを、私なりに確認したつもりでいたのにーーーーー。『無所属の時間で生きる』 P.18

政官財界の偉人には、大病を患い入院生活を余儀なくされた時期を過ごした人がいる。無所属の時間と色合いが似ている。それら偉人や城山先生と比較する気は毛頭ない。私はといえばずいぶんとさもしい無所属の時間を手に入れた。いつまで続くかわからない。ただ自分なりに無所属の時間で生きている。 まったくなにもかも違う先生と私。ひとつだけ同じモノをすくい取れた。

もっとも無所属の身である以上、ふだんは話相手もなければ、叱られたり、励まされたりすることもないので、絶えず自分で自分を監視し、自分に檄をとばし、自分に声を掛ける他はない。

檄や掛声である以上、三度繰り返したり、また、毎年似たような文句を繰り返すことにもなる。

度し難い話だが、それが人間ということなのであろう。『無所属の時間で生きる』 P.127

度し難い話。うなづいた。絶えず自分で監視していると、過ぎてしまえば何ということもないモノに心配したり怯える。見えぬ姿に恐怖を先取りしたり。あらゆる方向から手をうたねばと思い、それがかえって己を惑わしたり。万事つつがなくは無縁。万事過ぎてしまって、のちに呵々大笑で呑めたら万々歳。それでいいと思っている。周りの草木がかわる景色を味わいつつ、自分は相変わらず自分に語りかけ、自分を叱る。

最近、中野孝次『人生を励ます言葉』(講談社現代新書)を読んで、

「何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず」(『徒然草』)

といったところに、マークをつけ、また、ある青年が、

「金を稼ぐつもりのものは左手で書いて、ぼくにとって大事なものは右手で書きますよ」

と言ったのに対して、ノサックが、

「その左は同じ身体についているのです。左手が触れた堕落の毒は、右手に感染するでしょう」

と答えたという話のところにも、マークをつけた。『無所属の時間で生きる』 P.128

マークをつけて自戒の日々。「今朝酒あらば 今朝酒を楽しみ 明日憂来らば 明日憂えん」を唱え、「一日を生きる」を大切にしようともがく毎日。ほど遠い。悶々として夜を明かしてしまうときも。翌日なにも考えずに外へ。数分歩けば歴史が現れる。歴史の場所から琵琶湖を望めばゆうに千年は変わらぬ景色を再認識。そしたら胸の渇きが薄れていく。周囲の景色に身を溶かし、五感が掬い取ってくれた水で胸の渇きを満たす。ときにはファインダーに。それだけで贅沢。

先生は言う、「人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である」と。深く生きる、ステキな言葉だ。小林秀雄先生の逸話。たしか、どなたか同じ逸話を紹介していたはず、出てこない。まぁいい。これもまた深く生きた証、と私は思う。

たとえば小林秀雄さんは、ゴルフが終わった後のパーティーなどでは、ほとんど箸を手にされなかった。

一食たりとも不本意なものは口にせぬ、という主義で、空腹のまま鎌倉へ帰り、小町通りの天ぷら屋など、ひいきの店へ行くという習わしであった。『無所属の時間で生きる』 P.107

口腹の快。楽しみを知る人が通う店がおりなす街。その街も深い。深さは一日にして成らないけど、深くありたいがため一日を生きる。どれだけ深いか自身で知るよしもない。見えるわけでもない。やがて私を往来する人が気づけば幸、気づかずば修養を積めておらぬと自分を叱咤。浅学非才の身、そんな程度だろう。

城山先生は還暦にあたってメモを残された。私にはまるで五箇条の御誓文のよう。それを肝に銘じてまた無所属の時間を生きよう。