月別: 2008年7月

数字からイメージを描く

明日は午前から出発して、午後のミーティングに参加。テーマは数字。ちょっぴりトークをまかされている。そこ(歯科医院)は生まれ変わる。院長先生が決断した。新しい歯科医院の誕生にむけて、プロジェクトを立ち上げた。プロジェクトを立ち上げるにあたり、まず院長先生とスタッフ(1名)と私で数字を決めた。数字は数値+文字だと思う。

以下、一般論ではなく極論。

歯科医院の収入は単価×来院数で算出される。さらに他業種と違い、単価は決まっている。来院数は医院の容積で決まる。だから単価×来院数を計算して、目標収入に達しなければどうなるか? 残りは自由診療で補填しなければならない。シンプルだ。だけど内情は複雑。それは「待つ」という変数が数式に代入されるから。

単価×来院数=総収入 < 目標収入 → 単価×来院数+自由診療=総収入 = 目標収入

でも、来院数は限界値。そこで保険の来院数を減らして自由診療の来院数を調整する。加えて自由診療だと単価を自由に定められる(定められるから難しい)。そうやって数合わせをしたら、「時間」をどうするかという問題が生じる。保険診療と自由診療の時間。受付のアポイント。チェアーの運用。そうやって時間と空間の調整をしても最後に待たなければならない。

数字は「数と文字」から成り立っている。数を算出してそれを文字にすれば、「差異」が認識できる。差異を認識させてくれる数は

  • 1人あたりの点数
  • 1日の点数
  • 1チェアー単位の点数
  • 1歯科衛生士の点数
  • 1日の来院数

などなど。院内のあらゆる数値データを収集する。P/Lの総収入から分解する。これ以上分解できない単位にまで。そうすれば、達成しなければならない数値との差異が認識できる。その差異を文字にすれば、「数字」になる。

数字にしたらイメージを描く。何を描くか?

それが問題。

I think about what I must think

成果を上げられなかったビジネス書

賃貸生活をしていて一つだけ悩みがある。部屋のなかで増殖する本。バカなお話。買うのをやめればいい。物理的に絶対の空間に収まる量ははじめから決まっている。それに逆らうなら犬を飼うために家を買う、あるいは犬を飼える賃貸に引っ越す。なかにはそういう人もいて書庫を増築したり倉庫を借りたいとか。

いま、少しずつ部屋を散らかしている。かつて購入したハードカバーのビジネス書を捨てるため。危険水域に達してきた文庫本と差し替え。この作業は一度にやろうとすると疲れる。疲れたくないから少しずつ。本棚や堆く積んだプラスチックBOX、そこかしこで無造作に置いてある本を選別。ずいぶん読んだなぁ。読み方が悪いうえに記憶しようとしない、おまけに理解力が乏しい。だからひとつも身につかなかった。はやい話、それだけ真剣でなかったということ。ビジネス書の内容を体得できなかったけど、一つの法則を確立した。

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価格を決める人 価格に従う人

Amazonのマーケットプレイスをウロウロしていると不思議な価格に巡り合う。たとえば価格¥840の新刊文庫があるとする。 ふつうの中古商品ならこの価格を下回る。ただし、希少本やマニアックなたぐい、絶版の名著とかは上回る。ところが、なかに価格¥600なんてつけられている中古商品が散見される。この場合、マーケットプレイス送料¥340をプラスすると¥940になって新刊より高い。不思議だ。一見すると、中古価格 > 新刊価格の法則にあてはまるような中古でもなさそうだけど。

開業してはじめに悩んだのが「価格」だった。いまでも悩む。サラリーマンだったころは、「価格を決める人」ではなく(エライという意味じゃなく、ただ無能だった)、「価格に従う人」だった。それでよくお客さまの会計のアドバイスなんてしたもんだなぁと良くない記憶を思い出す。「価格」は積み上げだと言う人がいる。固定費・変動費の一部を積み重ねて算出する方法。そのとおりだと思う。別に専門的に何かを知っているわけじゃなく、現場の皮膚感覚から頷ける。

だけど「価格」は積み上げだけで決められない。むしろ「価値」の価格に頭を抱える。価値は相手が判断する要素かもしれない。だからといって考えなくてもいいのかというと違うと思う。価格に含まれる価値と含まれない価値。価値、評価、絶対値……。そうやって「価値」について考え始めると、「価格を決める」ことは「価値を考える」プロセスのひとつであって、その思考をたどれば、「経営」という裾野へ広がると思う。

ちなみに「価格に従う人」はコストへの意識を欠落させてしまっているのかと疑ってしまうシーンもしばしば。そういう人はプロモーションの取り組みもめちゃくちゃくで、「何のために、何を伝えたいのか」わからない。

「価格を決める人」が「価値を考える」プロセスをたどって「経営」に広がるのか、その逆、そう考えられる人が「価格を決める人」になるのか、私にはわからない。私はそんな「価値」がある人じゃないので。そこがいちばんツライ。

食べないとバランス

二週間ほど前から身体が重いなと感じるようになった。毎日の体重測定をサボったからか。体重計に乗った。58.1キロ。やっぱり。ちょうどいい機会と思い、以前から試してみたかったことをはじめた。一日に食べる量を減らす。ダイエットは終わったので今度は実験みたいなノリ。テーマは食と消化とエネルギー。仮説は一日三食なんていらないと30品目なんてウソだろう、ってことで。思いついた理由は、消化はエネルギーを使うかもしれないから。

とりあえず、朝はご飯一杯とお味噌汁、または果物。昼はSOYJOY、または食べない。夜は野菜中心にご飯と一品(たぶん食べ過ぎのはず)。

はじめて二週間、感じられる変化は二つ。

  1. 眠たくなくなった
  2. 身体が軽くなった

身体がムリと感じたらガマンしない。食べる。結果、午後の眠気はなくなり、夜の睡眠は深くなった。軽くなったのは重さの変化じゃなく(そんなに減っていない)、感覚の程度。専門的に勉強したり知識を身につけようなんて意欲はまったくない。食べる理由と(消化時の)胃の負担に意識を向けるようにした。自分の身体が感じる程度(ということはいい加減の話)だけど消化って案外エネルギーを使っているかも、ひょっとして。あと30品目のバランスって人それぞれだな。ウソまで書くとウソになるから”それぞれ”にしておこう。

とにかく消化の負担を減らすように心がけたら、それに比例にして身体の調子が上向くのが現時点の結果。

顔・顔・顔

スポーツ観戦が好き。特定のスポーツ観戦じゃなく幅広く観る。といっても、「観戦」が好きじゃなく、スポーツの現象を眺めるのが好きといった感じ。眺めた現象を自分で再構成するのが習慣になっていた。「観戦」自体が好きじゃないと書く理由はあって、昨年あたりから観る機会が減ってきた。好きなら減らない(と思う)。減った理由は単純で、時間配分を見直したから。ベクトルが変わると、それに応じて費やすリソースと配分の時間は変わる。おまけに勉強(そんな大げさものじゃないけど)したいから、その分の時間を増減させないといけないので。

それでも欠かさず観るスポーツはある。その一つが全英オープン (ゴルフ) 。他にはウィンブルドン選手権モナコグランプリとか。共通点は分かってもらえるかな。今年の全英オープンは眠い目をこすってテレビにかじりついた。グレグ・ノーマン のプレーに魅了された。もちろんゴルフはやったことないのでわかるはずもなく、ひたすら表情と振る舞いをインプットしていた。

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何かのせい

夏のレプリカ (講談社文庫)

たとえば、「子供に夢を与える」と言いながら、本当に夢を見る者を徹底的に排斥しようとする社会。集団はいったい何を恐れているのだろう。多くの大人たちは怯えて何もできない。ただ作業をするだけ、子供を育てるだけ。新しい目的に挑戦している者は少数である。それなのに、子供には挑戦させようとする。自分たちにはとうてい消化できないものを子供に与えている。こんな動物は他にいるだろうか? 『夏のレプリカ―REPLACEABLE SUMMER』 P.14-15

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僕は誰?

サスケの『青いペンチ』や『キセキ』を聞いていると”素直”って言葉が突き刺さる。

この声が枯れるくらいに 君に好きと言えばよかった
会いたくて仕方なかった どこにいても何をしてても
この声が枯れるくらいに 君に好きだと言えばよかった
もう二度と戻らない恋 痛みだけがちょっと動いた

心の深いところで繋がっている
言葉にはしないけれどわかるよ
繰り返す輪廻の果て 出会った奇跡 永遠に続く 愛

こんな真っ直ぐに表現できる感性を失いたくない。だけど馬齢を重ねると忘れる。その代わり手にいれたのは愚者。「そんな素直でやっていけないよ、大人は腹芸だよ」とどこかで拒む自分がいて、その気持ちが「人とは違う」方向へ足を運ばせる。たぶん、そこが分岐点。そこから天の邪鬼になれるのはほんの一握り。残りは素直を失い壊れた方位磁石を持ち愚者の棲む場所へ誘われる。そして今の私になった。愚者につきささる言葉。

YouTube – LIFE(Short Ver.歌詞付) / キマグレン

僕らの住む世界はいつもとてもウソだらけ
自分殺して、笑顔作ってる
傷つく事恐れて想い隠す、いつの間にか
分かんなくなった、僕は誰?

素直を抱きしめ続けたい。おもちゃを取り上げられそうになる子どものように大人を睨みつけたい。それは素直じゃなく駄々っ子だよって(笑)

今年36歳、三度目の年男。「傷つく事恐れて想い隠す」のはやめた。そしたら先日、お客さまと飲んでいるとみんなの前で「自分」を出してしまった。顔から火が出た。だけど、そんな自分を認められるようになった。「私」を引き出してくれたのは他者。

「僕は誰?」