住処が人を育てる

鎌倉の旅の二日目、長谷寺へ。江ノ電に乗り長谷駅で降りたとき、「ああ、住みたいな」と思った。ひさしぶりだ、そんな気持ちになったのは。学生時代から東京以西は北陸を除いて足を運んだ。そのなかでも住みたいなと思ったのは伊良部島だった。そのとき以来。抑えきれないワクワク感。長谷寺から海を望む。

長谷寺から望む鎌倉

長谷寺の至る所に咲く紫陽花。当日はあいにくの雨。だけど軽やかな足どり。紫陽花と雨は仲好し小好し。

長谷寺の紫陽花

カメラを構えてゆっくり撮りたいけどダメだ。たしか9:30ごろだったけどすでに列。たぶん午後からは入場制限がかかる気配。看板には待ち時間80分なんて札もあったので混雑のときは紫陽花と人の頭でいっぱいになるのだろう。

長谷寺の紫陽花

紫陽花に露。

長谷寺の紫陽花

眼前に海、振り向けば古刹と山。ステキだ。趣のある家々がおりなす町並み。家か店かわからなかったり。長谷寺から望む海ではサーフィン。なんだか身体がウズウズした。ここに住んだら好きな音楽を聴きながらそぞろ歩きするのかなぁ。海も山も、町並みも、住人は日常で旅人には非日常。その差異が憧れを抱かせる。わかってる。住めば都という。私が住む琵琶湖もたいそう気に入っている。旅先の街ははじまりからおわりまで日常から切りはなしてくれる。だけど、既視感を抱かせる町並みもある。既視感と過去の区別がつかなくなったとき、「ああ、住みたいな」とつぶやいた。

自宅の前の紫陽花

自宅のすぐ前に咲く紫陽花。どこの紫陽花も美しい。