F先生と愉快な仲間たち

00:05に鶴橋を出発して01:11に大津へ到着。帰宅後、ひとっ風呂をあびる。で、ブログにむかう。なるほど、悪酔いしない方法を発見した。

  1. 好きな人たちと痛飲する(あたりまえか)
  2. 笑いっぱなしになる(これが案外むずかしい)
  3. 話を肴に酒を浴びて情熱をもてあます(自分で書いているけどよくわからない)

ミーティングを終え、飲みにゆく。メンバーは院長のF先生、勤務医のY先生、ヨッシー、まっちゃん、いまちゃんと私。男性二人と女性四人。私と院長先生は”とりあえずビール”。Y先生は日本酒を。 私は外で飲むとき、痛飲しても酩酊しない。自宅や里へ「帰る」となると、身体が無意識に言い聞かせ抑制しているらしい。だけど、年に数回、「帰る」ことを失念して酩酊する。今日はその日だったようだ。おまけにみんなが同じ酒を酌み交わした。こんな機会はたいへんめずらしい。きっかけはY先生が嗜んでいらっしゃった日本酒をF先生が飲み始めた。そのとき、F先生は「飲む人」と声をかけ、残りの四人が一斉に挙手した。いつもならそれぞれが好む酒を注文するはず。今日はみなが同じ酒を飲んだ。そうさせたのは何か? その何かを追い求めていくのが私の興味。

四人が一斉に挙手してから冷酒が続々と運ばれきた。お猪口6つを持って「どうぞどうぞ」と酌み交わす。お猪口だから酒がクイクイ口に運ばれる。好きな人たちと話を肴にウマイ酒を酌み交わす。酒がウマイのもさることながら、人がウマイのだ。だからどんな酒を飲もうが何を飲んでもウマイ。もはやウーロン茶でも酔うかも(んなわけねぇ)。酔わないほうがおかしい(もちろん酒で、ですよ)。だけど不思議。頭も身体も酔っぱらっているのに悪酔いしない。気分はますます高揚す。

F先生
酔うと”ピー”トークに花が咲き、爆弾発言多し。ヨッシー、まっちゃん、いまちゃんへの可愛がり方がすこぶるおもしろい。理論を愛する一方、理論への傾斜をひどく嫌う。そのアンビバレントなふるまいは他者を魅了す。
Y先生
自分が不安を抱いている以上に患者が不安を抱いていることに気づいたから目の前の風景が様変わりした。様変わりした風景をキャンバスに描こうとする姿が懸命でステキ。
ヨッシー
たぐいまれな対話力と院長先生へのスルー力を持つおそるべきDH。スポンジが水を吸い取るかのごとく感性を身にまとっていくふるまいが異彩を放つ。
まっちゃん
目は口ほどにものを言うを地でいく頼もしい存在。口ほどにものを言う表情(ふつうは悪い方に働くのに)が他者を惹きつけるのは天賦の才。
いまちゃん
話によって食いつき、話によって食いつかず、その食いつきポイントが他者を幻惑す。悠然と受け止めたかと思えば、華麗に右から左に受け流し、時にカップヌードルタイムぐらいテンポがずれる。おそるべき異能。

これらいずれも私の視点。すべてフィクション。そんなわけない。だけど私の目にはそう映る。そうやって錯覚しつづけても身体と頭が拒否しないから傍らにいたくなる。

No complexity, No simplicity.

複雑なくして単純なし。私の名刺に刻んだ言葉。私がいまところたどり着いた気持ちを言葉にした。単純は美しい。だけど表に映る単純は裏に想像を絶する複雑を抱えている。同じ酒を飲む6人が抱える複雑な背景。わかりようもない。わかりようもないからこそ言葉にすべくもがく。そのもがく姿を肴に酒を飲む。五臓六腑にしみわたる酒と声。今宵はぐっすり眠れる。

私はほんとうに幸せだ。