年の功と気配り

あるときは年の功で、あるときは暴走老人!だったり、老人がフォーカスされる。

「モスバーガー」では注文を受けてからハンバーガーやポテトなどを作るために、待ち時間が5〜10分程度発生する。その時間を退屈させないのが、良いところだという。若い店員の場合は注文を受けた後はお客に背を向けて、作業に没頭してしまうが、「今日はお天気でよかったですね」といった会話をしてうまく間をつなぎながら作業をする。こうした気配りは店が教えたのではなく、自発的にやっているそうだ。同店の30代の店長や若いスタッフらは、「こうした姿勢を学ばなければいけない」といっているそうだ。

広報担当者によると、五反田東口店は駅前に立地する大型店で、お客が多く訪れ、スタッフの確保が課題だった。そこで店長がアルバイトの募集年齢を60歳に引き上げたところ、59歳の女性の応募があった。採用すると、接客が見事なことがわかり、それ以降同店では採用方針を見直し、今では60歳以上が10人にも増えた。

当時59歳だった女性店員は、10年間働いていて今では70歳。立ち仕事で体力的に厳しい面もあるが、「お客と接するのが好き」「若い人と働きたい」といい、楽しんで仕事をしている。

via: 気配り上手は評価される 60歳以上でファストフード店で働く人(J-CASTニュース) – Yahoo!ニュース

「接客が見事なこと」がわかって採用方針を見直したところ成功した。この事例はときおりメディアでとりあげられている。シマッタなぁ、思い出していれば先週なら足を運べたのに。自分の目で見たかった。お手本となった70歳の方にお会いして聞きたい。源は?

「お客と接するのが好き」「若い人と働きたい」のも源のひとつなのかな。お客と接するのが好きだから接客が見事になったのか、接客するようになってお客と接するのが好きになったのか、あるいは気配りは親のしつけだったのかなどなど。興味がつきない。「年の功」だけで片付けてしまうと、なんだかしっくりこない。以前、F先生からフォーカスグループインタビューを依頼された。私の役割はファシリテーター。そのなかで強烈に印象に残った老人がいらっしゃった。とてもいきいきとして矍鑠たる老人で笑顔がすてきだった。その方が私に与えた影響は大きい。

loaded <THINKSELL /> – QOL

何かを論じるとき、歳や世代をひとまとめにすると考察しやすい。だけど、それによって見落としてしまう要素もあるのじゃないかと思う。見落としてしまった要素が鍵だったり。ただ、そういう要素は暗黙知ですぐに培養できない。ゆっくり時間をかけて育まれた感性があって、自分自身でもそれに気づかない。それを周囲の人たちが肌で感じとるような。他者が承認してはじめて「形式知」になる。「おいしい」という一声で食事を鮮やかな色で描く人はいる。そんな人と食事をすれば楽しくて楽しくて時間なんて忘れる。食べたモノはしっかり覚えている。不思議だ。

モスバーガーの若い人たちが見習ってやってみたらどうなるだろう? 変なトーンの声でちょっぴり意図的な会話になってしまいかねない。そういう波長を感じとる人はいて、波長がしっくりこないと逆効果も。でもやらないよりやったほうがいい。そう思う。「おいしい」の一言は案外むずかしい。

組織は人の問題をマークシートのように解決できない。存続すればずっとつきそってくる。たいへんだ。だけど、答えのでない問題をみんなでじっくりと解いてゆく根気を失わず、何とか前を向こうとする人たちがいればそこに人は集まってくる。そうあってほしいと願う。

愛読しているブログの一コマ。いつもするどい視点で切り込んでいく姿に感嘆の声をあげていたけど、こちらもすばらしい。相好を崩した。

ああ、前に来たとき(30年前)、差し歯にしたんだったね~
と、簡単に思い出してくれたらしい。
歯医者の受付のおばさん、畏るべし。

via: 天漢日乗: 30年ぶりの歯医者に行くと受付のおばさんが変わってなかった件