問題を切り分ける難しさ

SANKEI EXPRESSに掲載されていた記事で感じたこと。昨今の報道とからめて。「問い」が硬直化して思考停止に至る恐怖を感じたので。

温暖化が実際に差し迫っているのか、それとも杞憂にすぎないのか、ということは、しばしば「白か黒か」というイメージで論じられるが、気候の専門家の話を聞いてみると「9割」の確率で人間による温暖化が進行中、というのが科学的な実態らしい。科学には定性的な議論と定量的な議論があるが、気候学者が出してくる細かいシミュレーションの中身は門外漢にはわからないので、なかなか「9割」という意味が伝わりにくい。SANKEI EXPRESS 2008.06.15 『「偽エコ」にはだまされるな』

『99.9%は仮説-思い込みで判断しないための考え方』の著者、竹内薫氏の記事。公共放送の環境特別番組に出演して気候学者の方々と3時間ほど論戦した内容をQ&A方式で掲載。そのなかの一文。気候学者たちが提示する定量的な議論に「門外漢」とはいえ得心している様子。それに反温暖化論者の議論は「定性的な議論」にとどまっていると指摘。だけど、反温暖化の風潮にも一理あると。

「人間のせいで地球が急速に温暖化している」という科学の話と、「だから、なんでもリサイクルしようと、エコ生活しようと」という対策の話は、まったく次元が違うからだ。対策は、政治、外交、経済の分野にまたがっており、科学とは無縁のところで、ドロドロとした儲け話が「エコ」の名の元に進行していたりする。そういった偽エコ活動にだまされずに地球温暖化を防止するのは、案外、難しい。

なるほど。「案外、難しい」は言い得て妙。居酒屋タクシーも同じ。「居酒屋がなぜ悪いのか」や「税金の使途」を俎上に載せる記事は多いけど、「深夜残業」の意味を問う機会は少ない。官僚をやり玉にあげる絶好の機会といわんばかり。

では、なぜ官僚は深夜残業が多いのか。
結論的に言えば、官僚が通常の業務の他に、
政治家への対応に時間を取られているからである。

via: 財務省タクシー接待問題はなぜ起きたのか。 – かみぽこぽこ。

「質問取り」「質問主意書」を丁寧に解説してくださり、長妻氏の鬼の首を取ったような態度の解説までおまけつき。ブロゴスフィアでは専門家や政治に興味を抱いている人をはじめてとして、「なぜ深夜残業が発生するのか?」という問いから出発して論じている。ブログというメディアの醍醐味。

猫猫先生も怒っている。

『週刊朝日』の見出しはひどいなあ。「若者に気をつけろ」だって。実は私にも取材申し込みがあったのだが、通り魔無差別殺傷事件のようなものは五年、十年に一度くらい、社会的に不遇な者によって起こされているもので、当人の「彼女ができない」といった言に過剰に意味づけするのは間違いである、マスコミはこういう事件に意味づけしすぎる、と電話で言ったが、どうやら採用されなかったようだ。この手の事件に若者も中年もないのである。調子に乗るのもいい加減にしてほしいものだ。

via: 猫を償うに猫をもってせよ

同感。YouTubeには白黒映像がアップされている。昭和に発生した通り魔無差別殺傷事件の報道。ずいぶん古い。私が知らないスゴ本さんも憤る。

どの世代(職場・教室・地域)にも「困ったちゃん」がいるように、理不尽な要求を突きつける親たちはいる。しかし、そうした「困ったちゃん」が激増しているかのような印象操作をくり返すマスコミ・ライター連を見ると、「また君か」という気分になる。根拠と数字を元に議論しようよ。

新しい名前をつけて「発見」した気になるのはコロンブス・メソッド。ちっとは過去を見ろ。ママゴン、未熟児ならぬ未熟親、「ローカルちゃん」ママ、「責任転嫁」親、廊下すずめ、いろいろな名前で呼ばれてきた。「モンスターペアレントは、どこにいるか?」ではなく、「モンスターペアレントは、何と呼ばれてきたか」なんだね。

via: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: モンスターペアレントはどこにいるのか?

1936年まで時代を遡り、理不尽な要求を突きつける親の「名称」を紹介。

ブロゴスフィアに棲むようになってありがたいなぁと感謝する日々。知識が増える喜びじゃない。 「私の問いの立て方は稚拙だ」という認識をもたらしてくれる。知識を過度に軽視したりさげずむのは短見だけど、まずは知識を捨て去ることからはじめた。問いをゼロベースから見直す。「他者を受け入れる」というフレキシブルな姿勢を貫いているようで、その実確固たる己を持つことを私はもっとも恐れる。なぜなら、確固はやがて硬直をもたらし、ひいては停止に至る。

ただし代償は大きい。いつまでもたっても”頼りない”わけで。わはは。