クレームと潜水艦

午前中、クライアントとウェブサイトの打ち合わせ。その最中、関連企業のクレーム対応力に嘆いておられた。対応力がなきに等しいと喉から出かけている。要はクレームに対応する「判断」を備えていない。判断できない状態。もしくは「判断」を知らない。

私は話を聞き相づちを打ちつつ、頭のなかで「潜水艦」を思い浮かべた。潜水艦、とりわけ原子力潜水艦 はサイレントサービスの別称をもつように、秘匿性の高い運用と行動で知られる。その艦長は「世界で最も力のある3人」と指摘する映画のセリフもある(合衆国大統領、ロシア大領、そして戦略核を搭載した合衆国原子力潜水艦の艦長)。

潜水艦の内部は、映画や小説の描写のとおり、いくつも区画から構成される。区画と区画を連結する扉がハッチ。(技術的説明をすっとばすと)家のなかにいくつも部屋があるといったイメージ。部屋は扉で仕切られ、開閉できる。

なぜハッチで区切られるのか? もし艦内がひとつの空間だとしたら?

言うまでもなく致命的。敵対する潜水艦から攻撃を受けたとき、潜水艦内に浸水すれば、あっというまに艦は沈む。だからハッチで区画する。ある区画に浸水しても、そのハッチを閉じれば、浸水はそこで終わる。

ある区画に魚雷が被弾

その区画には戦闘員が3人配置。見えない敵から発射された魚雷が被弾、浸水。艦長の判断やいかに。映画や小説の風景。このままいけば艦が沈没する。全力の救助活動、それがかなわぬ場合、ハッチを閉じる。それが艦長の「判断」かと。

潜水艦なんて何も知らないのに妄想で語る。潜水艦の大前提は、「沈めない」じゃないかな。「沈まない」じゃない。地上で戦闘が起きているように、海底でも戦闘はある。ソナーだけが頼り。見えない敵が発射する魚雷は360度どこからでもやってくる。沈黙の恐怖。

経営は「沈まない」と誤解している社員

組織は潜水艦。ある程度の企業に成長すると、社員は「沈まない」と無意識に受け入れる。自分がお世話になっている会社が倒産するなんてつゆほど疑わず。それぞれの社員に「区画」が与えられる。区画を与えられた社員のうち、「沈まない」系の社員は、やがて区画のなかで役割を忘れる。

潜水艦は沈む。だから「絶対に沈めない」が大前提。大前提を徹底的に共有する。そのなかで艦長は判断し、戦闘員は役割をはたす。しかし大前提、置換すれば「この組織が存在する理由」を徹底的に共有していない組織は、艦長が判断できず、戦闘員も役割を果たせない。

「沈まない」系の社員は、与えられた区画で自分のやりたいようにすごす。自分が退社するまで。ややもすれば、ハッチを閉じる人もいるかもしれない。ハッチを閉じる判断は艦長に与えられているのに。

むろん、社員がハッチを閉じる場合もあれば、艦長がハッチを閉じない場合もある。じわじわと「浸水」してきている。たとえば、お客さまのクレームや不満が瀰漫している。なのに気づかない。気づいても、ハッチの開閉を社員にまかせる。結果、もう「浸水」はとまらない。潜水艦ほどではないけど、ゆっくりと沈んでゆく。きわめてゆっくりと。確実に。「絶対に沈めない」という大前提を忘れた組織。あとは定年という救助ボートに逃げ切れるかどうかだけ。救助ボートに乗る人は沈むかどうかなんて無関心。少なくともオレがボートに乗るまで大丈夫。

風通しのいい組織 仲良し組織

仕事の成果は芳しくないのに、社員同士が「なかよし」な組織。問題が起きたときあわてふためくけど何となく解決すれば喉元過ぎれば熱さを忘れる。みんなそれなりに不満を共有していてなかよし。

ややコワイ。まるで区画がない潜水艦のように。ひとつのシステムにエラーが発生したとき、そのシステム内部に存在するものすべてが滅びるようなシステムは運用上好ましくない。かといって、ハッチを全部閉めてしまうのもシステムは機能しない。

区画はあるけどハッチの開閉をリーダーが決定する。意志決定。そのための「存在理由」。ハッチを自ら閉めたいのなら自ら開閉できる組織をつくるか、「船外」へでるか。

平らでも三角でもなく

権限委譲やリーダーシップ、責任の所在…..ことばはいろいろならぶ。ならぶけどことばじゃない。単語。もう少し揶揄するなら意味のない機械語。「沈めない」前提を共有している有機体が醸し出す危機感。その危機感を持っていれば、組織の形を平らや三角に拘泥しない。

区画のなかにいる人。ハッチをすべて閉じた。艦長の声は届かず。同時に、中の人の声も届かない。区画の「外側」で何が起きているのかも知らない。それは、きわめて「限られた区画」のなかでしか生存できない。自分を沈めないためのふるまいがいつしか自分だけが沈むように構造化されている。