視聴率は低迷した紅白でもコメントの出汁に使える

今日のSankei EXPRESSのコラムにピピっと。お題は『紅白と2ちゃんねる』。

大みそか、紅白歌合戦を見た。例年と違うのは、テレビのチャンネルをNHKへ合わせると同時に、パソコンを開いたこと。ネット掲示板「2ちゃんねる」にアクセス。視聴率低迷が続く紅白に対する反応を知りたかった。

2ちゃんねるには、実況板(正しい2ちゃんねる用語かどうかはご容赦を)といって目の前で放映されている番組について「リアルタイムに書き込む」板がある。たまにのぞいてみるけどおもしろい。含蓄に富む文章が散見。

そこにはたわいない発言のようにみえて、実は視聴者の意見が如実に現れるのが面白い。2007年最後の夜は、紅白への書き込みで盛り上がっていた。実力がおぼつかないと思われる歌手には、容赦ない批判が相次ぐ。しかし、歌唱力のある歌手、優れた演出には素直な賞賛の声。

今年の板ではGacktが話題をさらったらしい。紅白が終わらぬうちに動画サイトへ投稿されていたとのこと。

まったくもって同感。これまでテレビの前で1人つぶやていたことが、ネットの向こうにいる見知らぬ人たちと共有できるのは、悪くない。まだ街頭テレビがあったころ、こんな一体感とともに人々は楽しんでいたのかもしれない。

向こう側との共鳴を「一体感」と称するのはいくぶん異議はあるけど、おそらく「リアルの現象をネットに棲む人々と共有する」というのが鍵かと。コラムの書き手は、「紅白が放映されている画面に、視聴者が感想を書き込むことができたら、もっと番組が面白くなりそう」と書いている。が、現実はむずかしい。

その境界線を取り払うのに近いサービスが、昨年ヒットした「ニコニコ動画」だった。リアルタイムの放送ではないものの。投稿された番組の動画にユーザーは自由にコメントを書き込んでいる。著作権など多くの問題をはらんではいるが、人気が集まるのも無理はない。

ニコニコ動画は動画配信関連サービス(参照: Wikipedia)。痛快。よくそんなコメントを思いつくなぁと感心したり、ことばのハンドリングの勉強にも。笑いのツボが世間の空気とズレているのかどうか探索。

テレビ局は著作権に神経をとがらせる。でも一度放映した番組をユーザーが自由にアクセスできる仕組みを提供していない。膨大な広告料収入によって賄われているテレビ局の根幹は電波を利用していること。ロハで。だから「バカ」をネタにしたクイズ番組が高視聴率を獲得して美容整形医師の西川史子さんをして、「芸能界がこんなにもボロいとは思わなかった」と言わしめた。

一方通行かつ寡占のシステムにユーザーが反旗をひるがした。動画共有サイト。それを叩きつぶそうと死にものぐるいに。叩こうとすればするほど「視聴率」は低迷の一途。動画そのものを共有していない。反応を共有したいだけ。ならば反応を共有できないなら「座る」理由もない。

テレビが一家に一台なら事情が違った。チャンネル争いの結果、同じモノを視てツッコミを入れて「他者の痕跡」を体感できた(と思う)。今は一人に一台。一人に一台になった結果、テレビを視ることは苦行と化したのかも。黙って長時間座っているなんてね。

なんとなく思う。

ニコニコ動画を知らないユーザーはテレビから離れ、携帯電話やゲームに向かう。英エリザベス女王もWiiに熱中しているだって。DSやWii、PSPのほうが「共有」できるわけで。動画サイトでことばを共有する人たちはテレビを視るのではなく出汁に。だからCMはいらない。ネタがあればいい。

テレビCMが購買に直結するのかな? どうやって測定しているか。わからない。けど好感度ならアンケートをとらなくてもだいじょうぶ。コラムが提唱しているようにテレビをニコニコ動画化してしまえばOK。NHKがどうぞ先陣を。受信料の代わりにコメント投稿料を徴収。

ボタンを押せば、「コメント表示バージョン」がテレビで放映され、紅白を放映している最中、リアルタイムにコメントが画面に表示される。そしたら今回の選出が視聴者に受けているのかどうか一目瞭然。

もうテレビを視ているのじゃない。ことばに餓えている、あるいは他者が何を考えているのかわからないからこそ、動画サイトの画面に表示される「他者の痕跡」に一喜一憂。ことばに餓えているから反動が大きい。極から極へと振れる。メディアも極へと吸収される。だって署名記事を書いている人がすでに「コメント」に餓えているわけで。

ちょっぴりブルブルときた。なんとなく抗いたい気分。でも抗う「仕方」がわからない。だからもう一度ブルブル。

ブルブル。