医療と教育が福袋に入っていそうだ

諸事情で年末年始の実感がまったくないわけで。はじめてのこと。まったく変わらぬ日常。世間はお正月。阪神百貨店の地下食品売り場、闖入者よろしく右往左往。フト気づく。福袋に異変かも。わからない。福袋を買ったことがない。だから買う前、買った瞬間、買った後の行動や気持ちを知らない。

ただなんとなくイメージとしての「福袋」はある。ワクワクドキドキというか。何が入っているのかなぁとか。

それが何やら違う。食品売り場で販売されている福袋は中身がはじめからわかっている。袋は閉じてあっても中身の見本が展示されているのもあれば、封をせずに口がぱっくり開いていて、上からのぞき込めるようになっていたり。

驚いた。

次に理解不能がやってきた。どうして「わかる」ものを買う? 「わからない」から乙じゃないの。

で、ハタと思い出す。

変わる福袋商戦 試着・予約・年内引き渡し…

正月恒例の百貨店の福袋商戦が様変わりしている。長蛇の列とは無縁の「予約制」や「中身が見える」は今や当たり前。なかにはあらかじめ試着で衣類のサイズを合わしてもらい、帰省に間に合うように、と年末に引き渡す店まで現れている。

今や「わからない」ものは受け入れられない。”KY”に中指を立てている私、でもそれは非礼というもの。「わからない」ものは排除され、「わかるもの」だけが迎え入れられる。

中身がわかる福袋。便利。まるで賞味期限や消費期限を記した食品。親切、懇切丁寧。いずれICタグ付き食品が発明されて期限切れ食品を口にしようものなら警告音がけたたましく鳴ったり。いずれ携帯電話から自分の好みの商品を選択して「オリジナル」な福袋が郵送されてきたり。

何が何やらさっぱりわからぬまま家路に。ニュースの画面には、6700人の行列をつくった百貨店。開店と同時に猛然と走る。怪我なんて想像だにしない。争奪戦。画面からでも喧噪が十分に伝わってくる。

戦場から帰還した人が笑顔でマイクに語りかける。「毎年、30万円は使います。そしたら180万円分ぐらいは入ってます」とニンマリ。

両脇に抱えて東奔西走。確か似た風景を梅田の地下通路で見た。大量の荷物を通路に置き、その傍らにはお父さんが携帯電話の画面を見つめている。どうやら荷物番。

30万円で180万円相当。物質が数値に置き換わり、対価としてわかりやすい。自分がどれぐらい得したかが一目瞭然。福袋から世相を透視しようなんて失礼千万。だけども福袋を両脇に抱えて脱兎の勢いで走る姿を眺めていると、福袋が医療と教育にダブった。消費。

わかりやすいもの。数値。すべてが数値に置き換わり、どんどんわかりやすくなる。

ありがたい。ますます頭を使わなくてもよくなる。低能の私には過ごしやすい世間になってきそう。