マナーに中指を突き立てる

携帯、ヘッドホンは禁止 自転車の運転で新ルール

自転車運転のルールづくりを進めていた警察庁の有識者懇談会(座長・吉田章筑波大教授)は27日、走行中の携帯電話、ヘッドホンステレオの使用禁止、保護者が幼児を乗せる際はヘルメット着用を義務付けることなどを盛り込んだ報告書をまとめた。[…]運転中に禁止、注意すべき事項として、携帯電話やヘッドホンステレオ使用のほか、歩道でむやみにベルを鳴らさないことや、雨天の場合は傘ではなく、雨がっぱを着用することなどを挙げた。

膳所のスターバックスへ向かう道中、自転車に乗っていると見かける。携帯電話で話ながら運転したりヘッドホンを装着している人。正直、こわい。私が後ろから迫っていることに気づいていない。特に、携帯電話の人は突然ハンドルをフラっとさせるからなおのこと。だから賛成かと言えば複雑。

携帯・ヘッドホン禁止と「規則」に明記しないといけないのかなぁと。

傘も同じ。歩行者の隣を走り抜ける、「あっ、あぶないな」と傍目にはハラハラ。傘と傘が触れたり。

なんだろ、「ルールには書いていない」という理由でふるまう。じゃぁ、ということで規制するための言葉をつくる。言葉に出力すれば解決できる錯覚。

でも、言葉を書いても「言葉」が見てないところでふるまう。そして、万が一の可能性に従いアクシデント。自分だけでなく他者まで。そのとき、規則の言葉は急速に色あせる。無力。でも言葉自身は無力だと感じない。じゃぁ、規則にした「誰か」は無力と受け止めるか。疑問。

こういうとき、私はとにかくエゴイストであれと思う。意味は違うかも。自分がしでかすであろう事故とふりかかるであろう事故、それを回避するのは自分。だから、その可能性を極力回避するため自分で”ああすればこうなる”とわかる範囲はとりのぞこうかなぁと。全能じゃないけど。

想像する。

  • 携帯電話で話しながら運転している自分の姿
  • ヘッドホンを装着して運転する自分の姿
  • 傘をさして運転する自分の姿

そのとき、「何か」が起こったとき避けられるか?

否。

もちろんフツーに運転していても不条理はやってくる。

不条理にあらがいたいけど抗えない。だったらとことんエゴイストになってやろうと誓う。電車のなかでヘッドホンから音漏れ、電車のなかで携帯電話で声漏れ…..注意されたときのバツの悪い空気ともやもやした感情を味わう、その姿を想像するならはじめから避けよう。

エゴイスト万歳。マナーに中指を突き立てる。