戦術眼の高さと集中力

昨日、クラブW杯のテレビ中継を観戦。サッカーをよく知らないけど観るのはスキなので観ていた。「世界はスゴイなぁ。このチームと対戦した浦和も素晴らしいなぁ。浦和にとってこれからはミランが”基準”になるんだろうなぁ」とワクワクした。

ボール支配率はミラン61%、浦和39%。ミランは各国代表選手がズラリ。ボールが支配されていると素人目にもわかった。ただ、浦和の守備はただ守っているという感じじゃなくて、攻めるような守りように映った。気のせいかも。観ていてハラハラするより、「イケ! イケ!」って。

もちろん、個々の選手の能力や技術は圧倒していた。カカのボールをもったスピードや自分の走りたい方向にボールを蹴り出してそこに走るようなボールタッチの少ないドリブル(ドリブルというのかどうか知らない)、ガットゥーゾのボールを刈り取るディフェンス、ナンダあの31歳の体力、あと誰だったかセードルフかピルロかのゲームコントロール…。

じゃぁ、一体何が違うのだろう? 今朝の朝日新聞の記事に目が止まる。

一気に得点を奪いにきたミランに突きつけられたのは、プレッシャーのかかった場面でも正確にボールを扱い、失点の場面に表れたように、空いた空間を的確に攻めてくる戦術眼の高さ、集中力だった。「場面によっては無理せず、シンプルにつないでくる」と鈴木。プレーの選択肢の的確さも含め、その戦術眼の高さで敗れたという。

“戦術眼の高さ”と”集中力”。なるほど。マネジメントにも応用できそう。「ひとりひとりが今何をしなければいけないのか」を理解して実行する精度の高さだと思う。システマティックに組織だって動かなくてもいい。けど、「ココ、集中! ポイント」と察知する力とそのときの個々の力を集積する感性の差というか。

対して日本は?

組織で戦うという精度を上げれば崩せる。大きなヒントもあった。個人の差は埋めようもないが、日本人は組織で対抗するしかないと改めて思った」と鈴木は語る。前半の最後、速攻から大きなサイドチェンジを使い、ゴール前に迫ったプレーもあった。組織で戦うという方向性を得た。

サッカーをよく知らないのご託を並べてアカンなぁと自嘲しつつもう少し。コメントのとおりだよなぁ。「組織で戦う精度を上げる」方向に道が開けてきそう。

ただ、「個人の差は埋めようもない」というのは、技術であって、個々の”集中力”を集積する感性は埋められると思う。持ち前の組織力にプラス、「ひとりひとりが今何をしなければいけないのか」を体感する感度を上げると、もっとワクワクできそうな予感。

マネジメントもそんなところに課題がありそう。組織、組織というけど、ヒドイ会社だとトップダウンかボトムアップかミックスかすらわからず、てんでバラバラ。組織を動かすことすらしていない。組織図があるだけ。カカが評した「浦和は戦術的に優れたチーム」ではなく、ただ闇雲に守っている。それではいけないと組織をいじくっても、名称がかわったり、組織図の配置が変更したり。あるいは多少組織だって動けるようになっても、「個々が一体何をしているのかよくわからない」やら「ひとりひとりが今何をしなければいけないのか」に鈍感だったり。

弁が立つ、言葉が先にくればくるほど、感覚が鈍っているような。感性を研ぐ。そんな修練が求められているように感じながらテレビ観戦。