民間でできないことって何だろう?

今朝の朝日新聞の地方版に掲載された記事。他意はないので委細承知で引用。

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「県の台所、想像以上に厳しい」/嘉田知事

【公債費年間700億円社会保障負担倍増・・・「痛み」に理解求める】

嘉田知事は県市長会など4団体の要望に対し、県の財政状況を次のように説明した。

昨夏の就任後、県の台所事情が想像以上に厳しいことに気づいた。

県の財政硬直化の大きな理由の一つは、平成初期にかなり大きな投資をしたこと。ハコモノなど社会資本が整備され、私たちは今その成果を享受しているが、年間約700億円の公債費負担がある。しかも、維持管理費には国庫補助がなく、負担がのしかかる。二つ目は国の三位一体改革で、年100億円ずつ地方交付税が減っていること。3点目は介護保険など社会保障関係の負担が、ここ数年で2倍に膨らんだことなどがある。

このままでは来年度400億円の財源不足が見込まれ、このまま放置すると、財政再建団体に転落する可能性がある。事業費だけで140億円削減したい。県も職員の給与カットで約30億円を浮かす。私自身も退職金を返上して県民に改革への思いを伝えたい。

医療費と私学助成は、さまざまな事業を削りに削って最後に決断した。ある程度の「痛み」はお願いしなければならない現状だ。県民の負担増に関しては今後、市町と協議したい。

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打つ手なし感が漂う。近ごろますますわからないことだらけでとまどう。東京では「泣く子と地頭と政府には勝てないからね」と石原都知事が憤り、「本当、見事に官僚支配の国家になったな、この国は」と皮肉っていた(参照)。

選挙を控え、政治家が「格差是正」を訴えるために官僚を怒鳴りつけた結果、と思いきや、どうも違うのでしょう。やっぱり「予算」を手放したくないのかな。農業政策と同じように、「生かさず殺さず」程度に地方をころがすおつもり?

滋賀県もお尻に火がついた。けれども”痛み”といえど、人員を整理する気配はなさげ。給与カットや事業費削減、琵琶湖の研究費を削減しようと画策。人そのものの余剰を整理しないと、職員は「本気」にならない。

公務員に能力を求めていない。とにかく民にまかせたらどうだろう。そうすれば、自分たちの存在価値が浮き彫りになる。自分が必要とされていないと気づくほどツライものはない。「整理」されて、あるいは隣人がいなくなって民から給与をもらっていたと体感すると思うよ。

テンプレート。全員が能力なしと罵っているわけじゃない。

削減は体質を変えるか? そこそこ変わるだろう。でも、喉元過ぎれば熱さを忘れる。そういえば、「ボク、人一倍のどが短いみたい」なんてセリフを聞いてブルブル震えた。こわいなぁ。対処療法にすぎないわけで。求められるのは体質改善。生活習慣病に侵襲されたとき、減量だけじゃぁ他の病を誘発しかねない。食事や運動、いわば攻め。

企業経営はまず大規模な人員整理に手をつけ、財務体質にいくぶん余裕をもたせたところに、間髪いれず売上攻勢にうってでる。人員整理”だけ”で回復して放置プレイした企業は急降下。

毒を吐けば、削減に能力いらず。調整のみ。攻勢に求められるはアイデア。

アイデアをしぼりだす根源は、「次に整理されるのはオレかもしれない」という恐怖と「オレしか企業を救えない」という自負、そのゆらぎに耐える知性。安住の地位に満足せず不言実行。

続けて毒を吐く。平均的な公務員はアイデアを出せる素地を持ってない。今までそんな環境にいなかったわけで。経験もなし。職務につく人そのものを侮蔑しない。公務員の属性の問題。

公務員の属性をはみ出た人が公務員のなかにいる。その人たちが躍動できる仕組みを整える。仕組みを構築するのは長の仕事。院長は医師や看護師たちが患者だけに向き合える環境を整えるのが仕事、そんなセリフをドラマで耳にした。

県民の負担増は売上増加。アイデアなき売上増加は価格転嫁。考える脳力と行う耐力をますます奪う。

機能する最小公倍数の県政は?

通貨の安定と外交、この機能は国家に不可欠。自治体にその機能は必要なし。ならば、何が必要かといえば、ほとんど民間でまかなえることに愕然とするだろう。

いや愕然としてみてほしい。それから必要な人員と権限をカウントしてみて。躍動する人、アイデアを捻出する人、仕組みを構築する人のみ。残りは民間へ。そこで必死になればいい。

県民に”痛み”を求めるのは幸せを願うからだろう。だが、その願いが強ければ強いほど痛みを麻痺させる投薬を与えているように私には映る。自立を支援せず、生かせず殺さず。