素直であること

オプティミストはなぜ成功するか (講談社文庫)

巨人戦のテレビ視聴率の低下に歯止めがかからないらしい。今年でいえば優勝シーンを画面の隅で放映した。むかしなら考えられなかったのでは。皮肉なことに、”常勝”を義務づけられた巨人がFAで補強すればするほど寒風が吹きすさぶような。常勝と人気はアンビバレントでないはずなのに不思議。

そんな状況を憂う広岡達朗氏が苦言を。

「福留いらん!」巨人重鎮がFA乱獲に苦言

「人間は教育で育つ、という理論をわかってもらえない。最初から育成された選手は巨人のにおいが入るんだよ。川上、長嶋、王といった柱が今はない。よそから来た人が一生懸命やっても、本当の柱ではない」

このコメントを読んで、『オプティミストはなぜ成功するか』を本棚からひっぱりだしてきた。

内容は興味深いものばかり。なのに広岡達郎氏が書いた解説は格別印象に残った。

私が悲観主義にならないことには、それなりの理由がある。
監督をやっていた時代に、これはどう鍛えてもプロでは通用しないと思う選手がいた。はっきり言って才能がないと思った。ところが、この選手はこちらの言うことは何でも素直に聞いて、一生懸命やってくれる。
その彼が、一年半たって俄然変身した。めきめき力を発揮しはじめたのである。
この経験から、現れた結果、いま目に見える才能というのは、ほんの氷山の一角にすぎないということを痛感した。人間には表に出ていない隠れた能力がたくさんあるのだ。簡単にあきらめてはいけない。
それ以降、私は人間の表に出ていない能力を見るようにつとめている。

『オプティミストはなぜ成功するか (講談社文庫)』 マ-ティン・セリグマン P.401

“才能”を誤解してはいけない。何をやりたいのかわからない。けど他人の評価と自己の評価の落差に憤る。そんなはずではないと。”自分探し”に。そこに「素直」は見あたらない。

人を育てるというのは待つこと。伝えきる努力の果てにあるのは教える側がコントロールできない他者。

教わる側は「育ててもらってあたりまえ」と気づかぬ陥穽にはまった。ディセンシーが失われ、”能力”というよりもフィーリングで教える側を査定する。学校の教育と同じように消費する。互いが招いた不信。不信を払拭する手間暇よりもFAのほうが割がいい。結果、「会社のにおい」がなくなっていく。

そんな空間へ足を踏み入れれば、なんとなくにおいはわかる。