待てない人々

待てないらしい。携帯メールの返信、5分待っても返ってこなかったらイライラ。懐石料理の前菜からメーンまで待てない。テーブルセッティングに要するほんの数分、声を荒げて帰る人。果ては子どもの成長を待てない親も。

【溶けゆく日本人】快適の代償(1) 待てない人々 数分間でイライラ

“時は金なり”。時と金を等価に置いてしまったのかな? 携帯メール、懐石料理、テーブルセッティング、いずれも趣が異なる「待つ」のはず。どれも同質に。ついには「人間の成長」も。時間を消費する。消費するからには金がいる。だから時間と金がリンクする。毎日習い事を、時間割表から「空白」を消すように。

病院の手術室。待つ。まったくわからない。手術室の扉がもう一度開いてベッドに横たわっている姿をイメージ。ただひたすら待つ。自分ではどうすることもできない。ひょっとすると、手術を待っている人が「はやくしろ、一体いつになったら終わるんだ!」と詰め寄る光景が日常になるのかもしれない。

『待つということ』のレビュー、「待つ」というのは絶望の向こう側にあると私は思う、と記した。また、「待つ」というたった一言のなかに驚くほどの情感が棲んでいる、とも書いた。

手術でも”時間”か”日”だ。そのわずかな時のなかですら”待つ”は絶望と希望を往来させる。子どもの成長は”年”。ましてや待っても答えはわからない。「待ちかまえ」「待ち遠しくて」「待ちこがれて」「待ちわびて」「待ちあぐねて」…..ありとあらゆる「待つ」を体験。「待っている姿」から滲み出る匂いを五感鋭い子どもは全身で感じる、と「信じる」。

「待つ-待たれる」のアンビバレント。奇妙なつながり。「私」だけじゃないという実感。

  • 総合病院30分
  • 通勤時の電車の遅れ5分
  • スーパー、コンビニのレジ3分
  • パソコンが立ち上がるまで1分
  • インターネットのコンテンツにつながるまで10秒

最も多くの人がイライラすると回答した待ち時間の“リミット”だって。便利だな。こんな調査までやってくれるなんて。リストがマニュアルに転載され、「待たすな」と叱咤。時空が変われば待たせたくない人も待つ人になる。「オレは仕事場で待たせない、なのに…」とイライラ。マニュアルどおりに「待たせなく」なればなるほど「イライラする」人はふえる。

待たなくなった時間がふえた。時間を消費する。「待つ」のなかにあった情感は消失。

「ある日、タカハシさんは、長男と一緒に、ぼんやりとテレビを眺めていた。そして、ちらりと、テレビの画面を見つめている長男の顔つきを見て、愕然としたのである。 長男は床に猫背になって座り、口を半開きにして、顎を突き出し、ぼんやりと澱んだ瞳で、画面を見つめていた。 タカハシさんは、長男の名前を呼んだ。反応がない。もう一度、呼んだ。まだ反応がない。そして、三度目、ようやく、長男は、タカハシさんの方を向いた。その瞳には何も映っていないように、タカハシさんには見えた。まるで魂が抜けてしまった人間の表情だった。」テレビが消える日(内田樹木の研究室)

「待つ」がなくなった日常のある風景のように私の目に映った。