堂入りを下界へ引きずり下ろさないでほしい

荒行住職いきなりお勤め…「人間業じゃない」ガッツ氏大絶賛

ただ9日間に及ぶ断食のため「かなり薄めたスポーツ飲料やおかゆ」で胃腸の回復をはかっているという。「体調が完全に元に戻るのには半月くらいかかるだろう」(関係者)。延暦寺には報道各社などから問い合わせが殺到しているが、来月中旬まで一切の取材を断り、星野さんの回復を静かに見守る考えだ。

妄想デス。このニュース、朝の情報番組で報じていた。たしかフジ。そのときの女性アナウンサーの声のトーンがやけに気になった。ものすごく軽かった。というか、アンポンタンな放言すれば、「わ〜、スゴ〜い」と幻聴した。明るく伝えるのは番組の性質上やむを得ない。でも、一瞬でも厳格に伝えるというか、静かに事実をありのまま伝える姿勢をほんの少しでも見せてほしかった。

星野円道さんが「堂入り」を終えたのは午前3時ごろ。約600人の信者が不動真言を唱える中、自分で歩くこともままならない状態で、両脇を僧侶に支えてもらいながら堂を後にした。信者の方々の目にはどう映ったのだろう。生身の不動明王に見えたのだろうか。

とにかくまったく想像すらできない断食断水断眠の行を満行した。そこに理解を超越した”何か”がある。それは私にはまったくわからない。わからないままでいい。分析や判断、評論なんかしなくていい。とにかく大阿闍梨が誕生した。それだけだけいい。

なのに、どうして「自分がわかるよう」に下界へ引き下ろそうとするのだろう。自分がわからないことをわかろうせず、わかることだけを自分の経験値に等価させようとする。わかりやすい平均値へと引っ張るエネルギーに悪寒。

“何か”を知る時、わかるから知るのでない。目と耳で情報を得た程度でわかるのでもない。わからないことがいたるところにあるという焦燥感と好奇心と絶望が”何か”を感じる原動力なのではないだろうか。