もしも最後だとわかっていたならあなたは…..? すっきりと答えられたらある意味幸せなのかもしれない。そのとおり実行できたのなら至福だと思う。「最後だとわかっていたなら」は突然やってくる。そのとき残された人々はどうしたらいいのか。ずっと対話し続けるのだろう。
あなたは言わなくてもわかってくれていたかもしれないけど
最後だとわかっていたら一言だけでもいい…..
「あなたを愛してる」とわたしは伝えただろうIf I knew it would be the last time,
I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”
instead of assuming you know I do.
ある詩が9.11同時多発テロ以降、チェーンメールやブログによって爆発的に世界中に広がった。詩を紹介するとき、こう記されている。
“9.11テロの時、救出作業の途中に亡くなった29歳の消防士が、生前に書き残した詩”
このわずか数行の紹介が2001年9月11日以降の人々の想像力をかきたてた。しかし、それは事実でない。真実はこの詩を翻訳した訳者があとがきにまとめている。
原題「Tomorrow Never Comes」—–最後だとわかっていたなら誰もが何かを大切にするだろう。しかし、いつも最後だとわかって生活しているわけじゃない。それが”あたりまえに”なってしまう。
「後悔をしたくない」という思いは利己的なのかもしれない。ほんとうなら何をしてあげればよかったのかと愛する人の幸せを願うのが答えなき対話なのかもしれない。
それでも後悔が消えることはないだろう。でも、「誰が忘れても、わたしはあなたを忘れない」という強い思い、「あなたの笑顔、涙、肌のぬくもり…五感のすべてを忘れない」とう誓いが、残された人たちを支えるのかもしれない。
わたしはそれが「待つ」ということだ思う。絶望の向こう側にある対話。大切な人を想いながら。