[Review]: そして殺人者は野に放たれる

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

昨今、凶悪事件が増加していると耳にする。それが事実なのかどうかわからない。むかしから凶悪犯は存在する。それが”マス”と相乗してクローズアップされているかもしれない。もし凶悪犯たちが私たちの「範疇」を越えたとき、野に放たれる(可能性が高まる)。昨年、私が住む滋賀県でふたりの園児が惨殺された(個人的には刺殺ではなく惨殺と受け止めている)。事件の概要は 滋賀県長浜市園児殺害事件 を参照していただくとして、容疑者はその後起訴され裁判中。「心神耗弱」を争っている。事件当初の衝撃にくらべ全国報道の時間が極端に減った。ゆえに地元新聞やメディアをとおして事態の推移を私は見守っている。

凶悪犯罪が、一〇〇%の理性によってなされるという発想も、一〇〇%の異常性によってなされるという発想も、私は間違っていると思う。しかし、こんなあたりまえのことが、専門家たちには承服できない。だから未だ日本には、凶悪犯罪者を心神喪失により無罪にする法(刑法三九条一項)はあっても、心神喪失により不起訴あるいは無罪にした凶悪犯罪者を処遇する施設が一つもない。

『そして殺人者は野に放たれる』 日垣 隆 P.67

著者の日垣隆氏は第三者ではない(参照: 日垣隆氏-Wikipedia)。本書でも身内の不幸にわずかながらふれている。だからといって偏向的な意見を書いているわけではない。解説の斉藤環氏よると、

本書についていえば、日垣さんは司法精神医学関連の資料はもちろんのこと、なんと中山書店の発行する『現代精神医学大系』全巻を読破したといいます。P.310

だそうだ。本邦の精神医学上、全30巻以上にも及ぶ究極の「レファ本」であり、斉藤氏はこれを読破した精神科医に会ったことがないという。

ただし、ひとつだけ残念だと思う。それは、「心神喪失者等医療観察法」に言及していない点。この法律は2003年に制定、2005年に施行された。施行後に文庫本が出版されているので少しでもいいから解説してほしかった。それについて次回レビュー予定の『狂気という隣人―精神科医の現場報告(新潮文庫 (い-84-1))』で述べられている。興味をもった方は2冊同時に読むことをおすすめする。

刑法39条(参照: 責任能力 – Wikipedia)を復唱すると、心神喪失(責任無能力)と完全責任能力の中間が心神耗弱とされている。

  1. 心神喪失者の行為は、罰しない。
  2. 心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する

本書には刑法39条により、事件を「なかった」ことにされるケースがいくつも紹介される。ややもすると実名報道から匿名報道に切り替えられて「消失」する。

裁判員制度の開始が目前にせまっている(2009年5月までに開始予定)。私たちも司法に参加しなければならない。不安を抱く。ブロゴスフィアでは法のプロが”司法”を書いている。それらを読むとまったくわからない世界が展開されている。同時に、そこから何かを知る責務を感じる。「知らない」ではすまされない。知ることで自分の中の何かが変わっていくような感覚。

今、私たちは司法にかかわろうとしている。にもかかわらず、刑法39条にいまだ手つかずような印象を私は受ける。加害者をモンスターにしないためのシステムを設計し運用することまで司法と専門家にまかせてもいいのだろうか。いや、司法ですら加害者に「責任能力なし」と裁定した後、手放しになっていた。

なぜそのような不条理が繰り返されてきてしまったのでしょうか。その問いを抱えて取材し続け、およそ一〇年がかりで本書が成りました。
理不尽さの原因は、主に三つあります。一つは、刑法三九条です。もう一つは、その条文を拡大適用し暴走させてきた司法界の思考停止。そしてとりわけ日本には、刑法三九条を適用された凶悪犯罪者を専門に処遇する施設が皆無だった、という事実が不条理を極限的に募らせてきたのでした。P.300

本書の多数の被害者に「不条理」は襲いかかった。その不条理はいついかなる時にでも私に襲いかかることを決して忘れてはいけない。だからこそほんの少しでもいいから「かかわる」ことからはじめなければならない。