感想文#2

風姿花伝 (岩波文庫)

感想文#1のつづきです。芸について600年前に記された世界に冠たる書物がありますと書きました。それは 世阿弥風姿花伝 です。

本の内容については、ブロゴスフィアに秀逸なエントリーを公開している方がいらっしゃいますのでそちらをご覧ください(笑)

このなかに、わたくしが心にとめている箇所があります。それが、以下です。

そも/\、花と云ふに、萬木千草において、四季折節に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、翫ぶなり。申樂も、人の心に珍しきと知る所、即ち面白き心なり。花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり。いづれの花か散らで殘るべき。散る故によりて、咲く比あれば、珍しきなり。能も住する所なきを、先づ、花と知るべし。住せずして、餘の風體に移れば、珍しきなり。

ただし、様あり。珍しきといへばとて、世になき風體をし出だすにてはあるべからず。花傳に出だす所の條々を悉く稽古し終りて、さて、申樂をせん時に、その物數を用々に從ひて、取り出だすべし。花と申すも、萬の草木において、いづれか、四季(折節)の、時の花の外に、珍しき花のあるべき。その如くに、習ひ覺えつる品々を極めぬれば、時・折節の當世を心得て、時の人の好みの品によりて、その風體を取り出だす、これ、時の花の咲くを見んが如し。花と申すも、昨年咲きし種なり。能も、もと見し風體なれども、物數を極めぬれば、その數を盡す(ほど)久しし。久しくて見れば、また珍しきなり。花傳第七 別紙口傳

『風姿花伝 (岩波文庫)』 世阿弥, 野上 豊一郎, 西尾 実 P.92

衛生士の方々の仕事も「人の心に珍しきと知る所、即ち面白き心なり」ではないでしょうか。いままで習得した仕事を極めると、それを、「時の人の好みの品によりて、その風體を取り出だす」。極めた一つの仕事をまったく同じように取り出していても、来院者は満足しません。

だから、衛生士の方々の仕事は「芸」だなぁと痛感します。何度も同じ人にお会いする。にもかかわらず、衛生士の方々は毎度「花」をみせる。今回みせる「花」は、じつは先月みせた「種」だけど、「数々の芸」を極めれば見せ方はいろいろ。そこに「久し」があり、それが「面白きと珍しき」を来院者へもたらす。

そして、衛生士と来院者がともにした個室にあるもの、それが「秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり」であり、「この分目を知ること、肝要の花なり」だと思います。

これからも来院者に魅せられ、藤林さんも来院者を魅了してください。